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團 伊玖磨(だん いくま、1924年(大正13年)4月7日 - 2001年(平成13年)5月17日)は、日本の作曲家、エッセイスト。日本を代表するクラシック音楽の作曲家の一人である〔読売新聞死亡記事、2001年5月18日付け〕。作曲家としてはオペラ、交響曲、歌曲などのいわゆるクラシック音楽のほか、童謡、映画音楽、放送音楽と幅広いジャンルを手がけた。「團 伊玖麿」は誤表記。 == 経歴 == === 生い立ち === 1924年(大正13年)、実業家、学者、政治家であった男爵・團伊能の子として、東京・四谷の慶應病院で生まれ、原宿(現在の渋谷区神宮前)で育った。 7歳となった1931年(昭和6年)、青山師範学校附属小学校に入学し、ピアノを学び始めた。翌年3月、祖父・團琢磨が暗殺された(血盟団事件)ことで、幼心に、物質的な栄達への疑問を抱くようになり、後に芸術を志す動機のひとつとなった。当時、團という一字姓のため、しばしば「朝鮮人」「シナ人」と怒鳴られたという(事実、700年前の祖先の團将監は宋人だったと伝えられる)〔團伊玖磨「故郷は東アジアの海と空」(『朝日新聞』1997年1月16日付)〕。 1937年(昭和12年)、13歳の際に青山学院中学部に入学。また、同年には東京市麻布区材木町(現在の港区六本木)に転居した。 1942年(昭和17年)に東京音楽学校(現在の東京藝術大学)作曲部に入学した。学校では下総皖一に和声学と対位法、橋本國彦に近代和声学と管弦楽法、細川碧に楽式論を学んだ。また、学外では山田耕筰に指導を受けた。 20歳になった1944年(昭和19年)、音楽学校に在籍のまま陸軍戸山学校軍楽隊に入隊した。軍楽隊ではバスドラムを担当し、芥川也寸志とともに編曲も担当した。 翌年には復員して東京音楽学校を卒業し、諸井三郎に対位法、楽曲分析を学んだ。歌曲集『六つの子供の歌』、管弦楽付き独唱曲二つの抒情詩『村の歌』『小諸なる古城のほとり』を作曲した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「團伊玖磨」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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