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團成社(だんせいしゃ、)は、大韓民国の映画館である〔연혁 、團成社、2013年11月7日閲覧。〕〔京城における帝国キネマ演芸の興亡 、笹川慶子、関西大学、2013年11月7日閲覧。〕〔年鑑, p.506.〕〔総覧, p.696.〕〔総覧, p.302.〕〔総覧, p.599.〕〔昭和7年の映画館 朝鮮 41館 、中原行夫の部屋(原典『キネマ旬報』1932年1月1日号)、2013年11月7日閲覧。〕〔年鑑, p.10-109.〕〔年鑑, p.504.〕。大韓帝国末期、同国が日本の保護国となった後の1907年(明治40年)6月4日、同国の首府・漢城府廟洞(現在のソウル特別市鍾路区廟洞)、つまり現在の位置に開館した〔〔〔〔〔〔〔。1939年(昭和14年)3月27日には大陸劇場(たいりくげきじょう)と改称している〔〔〔。第二次世界大戦後には館名を「團成社」に戻した〔。旧来の建物を解体し、新築落成した2005年(平成17年)1月からはマルチプレックスシアター(シネマコンプレックス)として稼働している〔。新漢字表記は団成社。 朝鮮初の常設映画館のひとつであること、加えて、初期において同館は映画製作を行っており「朝鮮映画第1号」とされる『』(1919年)を製作・公開したことで知られる〔〔。 == 沿革 == * 1907年6月4日 - 團成社として開館〔〔 * 1917年 - 日本人実業家田村義次郎に所有権を移転〔 * 1918年12月21日 - 同館支配人に朴承弼が就任、4階建てに改築・再開館〔〔〔 * 1919年10月27日 - 同館が製作した映画『』を公開〔〔 * 1939年3月27日 - 大陸劇場と改称〔〔〔 * 1946年1月31日 - 館名を團成社に戻す〔 * 2001年9月1日 - 旧来の建物の解体に入る〔 * 2005年1月 - 新築落成、7スクリーンのマルチプレックスシアターとして再開館〔 * 2006年9月 - さらに3スクリーンを追加、10スクリーンとなる〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「團成社」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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