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土佐藩御船蔵[とさはんおふなくら] 土佐藩御船倉(とさはんおふなくら)は、江戸時代に現在の高知市の南東部、仁井田・種崎方面に存在した土佐藩の造船所である。 == 概要 == 土佐藩統治下における藩所有の造船所のことで、文字通り船を造る造船所を指す。もとは、旧領主・長宗我部元親が土佐国長岡郡種崎浦に作った水軍基地をもとにして、慶長6年(1601年)に浦戸城へ海路入城した山内一豊と2代藩主・忠義が土佐藩の専用の御船蔵として整備・拡張した。 藩の御船蔵のあった所在地は、現在の高知市仁井田の入口にあたる市役所の三里支所付近より西上町(二段道路)を含め、西進していき、桑野神社付近までの海辺の約一キロの間に存在していたという。御船蔵は周囲を大竹の菱垣で囲み、全体に松の林が茂っており、北東の仁井田側入口には土佐藩の船蔵奉行所があり、中央付近には御船蔵の長屋御門が存在していた。なお、ここには船大工を監督する作事方詰所があったり、他にも船本体のみならず、造船や操船に必要な用品のすべてが造られていた。 船頭や、水夫らは、仁井田と種崎地区にそれぞれ数百人住み、種崎の大工町には船大工や鍛冶職人・縄作りや帆の製造にたずさわる職人たちが定住していたという。明治維新にともなう廃藩置県により、とり壊され現在跡地には工場や船舶部品の製作所、住宅などがわずかに残る。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「土佐藩御船蔵」の詳細全文を読む
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