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土倉勝看 : ウィキペディア日本語版
土倉勝看[とくら かつみ]
土倉 勝看(とくら かつみ、元亀3年(1572年)- 寛永14年11月21日1638年1月6日))は、岡山藩池田家家老備前佐伯土倉家初代当主。
父は滝川一益の家臣岩田小左衛門。池田家家老土倉貞利の養子。正室は村上周防守の娘。子に土倉一成。通称は市正。
元亀3年(1572年)、岩田小左衛門の子として尾張に生まれる。天正18年(1590年)、小田原征伐に出陣する。慶長2年(1597年)、26歳で養父貞利の家督を相続する。元和2年(1616年)、藩主池田光政が幼くして家督相続し、鳥取に転封されると、光政を補佐して日置忠俊と共に藩政を司った。寛永9年(1632年)、光政の岡山転封に伴って、備前磐梨郡佐伯に移り、陣屋を構えて代々知行した。寛永14年(1637年)11月21日没。享年66。
常山紀談」に、藩主光政から御使番の人選を相談され、日頃不仲の中村忠左衛門を推挙した、公正な人柄を物語る逸話が記載されている。
== 参考文献 ==

* 『池田老臣累記』
* 『備前家老略伝』




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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