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土倉龍治郎(どくら りゅうじろう 1870年 - 1938年)は、日本の実業家。土倉龍次郎と表記される場合がある。 == 略歴 == * 1870年(明治3年) 奈良県吉野郡川上村に生まれる * 1895年(明治28年)台湾へ渡る * 1903年(明治36年)台北電気株式会社を設立 * 1909年(明治42年)帰国 * 1910年(明治43年)カーネーション栽培を開始 * 1932年(昭和7年)大日本カーネーション協会設立、会長就任 * 1938年(昭和13年)68歳没 同志社普通科卒業の後、台湾に渡る。日本統治下の台湾において林業、樟脳採取事業で成功。台湾で初めての水力発電会社を設立した。1909年(明治42年)本家の要請により、事業を三井物産に譲渡し帰国。翌年よりカーネーションの栽培を始める。日本におけるカーネーション栽培の先駆者として「カーネーションの父」と呼ばれている。1936年(昭和11年)「カーネーションの研究:修教社書院」を犬塚卓一と共に著している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「土倉龍治郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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