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土家 由岐雄(つちや ゆきお、1904年(明治37年)6月10日 - 1999年7月3日)は、日本の児童文学作家。本名は土屋姓である。 == 経歴 == 東京都文京区に生まれる。少年時代に図書館に通って巌谷小波の作品を愛読したことがきっかけとなり、児童文学作家を志望する〔『東京っ子物語』 170頁。〕。小学校を卒業してからは三菱の関連会社の給仕のかたわら、児童文学雑誌への投稿を行い、40編あまりの作品が入選を果たした。東京工学校採鉱冶金科卒業後は三菱商事や東京都教育局や少国民文化協会などに勤務しながら数冊の作品を発表していたが、1945年(昭和20年)に小国民文化協会が解散すると、執筆活動に専念する。 戦後は幼年童話の分野でも活動を始め、小学館児童文化賞を受賞した『三びきのこねこ』や、『かわいそうなぞう』が注目を集める〔『日本児童文学大事典 第1巻』 488頁。〕。1971年『東京っ子物語』で野間児童文芸賞を受賞し、1975年には児童文化功労者として、日本児童文芸家協会から表彰された。 多くの児童文学作品を発表する一方で、児童を対象にした童句を創始し、複数の作品集を発表した。1992年1月から1999年3月まで、読売新聞日曜版の「童句」欄の選者を務めていた。晩年は埼玉県狭山市に在住していたが、狭山市の智光山公園子ども動物園前には土家の句が刻まれた童句碑が建っている。 1999年心不全のため死去。95歳没。葬儀は故人の遺志で行わなかった。 妻ツヤの実弟奥名修一は、太宰治と心中した山崎富栄の夫。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「土家由岐雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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