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土居清宗[どい きよむね] 土居 清宗(どい きよむね、文明15年(1483年) - 永禄3年(1560年))は、戦国時代の武将。伊予西園寺氏の家臣。西園寺十五将のひとり。 伊予土居氏は、越智姓・河野氏の流れを汲む一族と穂積姓・藤白鈴木氏の流れを汲む一族とがあるが、清宗の一族は後者に属する。源義経に仕えた鈴木重家の子の清行が、河野氏に預けられ土居氏を名乗ったという伝承があるが、伊予西園寺氏に仕えた武士の子孫とする説もある。土居姓の由来についても紀伊国の鈴木氏縁の土居の地とする説と伊予国宇和郡の土居の地とする説とがある。 清宗は伊予国大森城主で、西園寺実充に仕えた。天文15年(1546年)、実充の命令で大森城から伊予石城に移り、九州豊後の大友氏との戦いを担当した。清宗は大友氏や土佐の国司である土佐一条氏との戦いで功績を挙げたため、実充から厚い信任を受け、清宗の子・土居清晴に実充の娘を与えられている。 永禄3年(1560年)、大友氏の攻撃を受けて伊予石城は落城し、清宗は子の清晴と共に戦死した。享年78。このため土居家は一度没落し、孫の土居清良は土佐一条氏の庇護下で養育された。 == 関連項目 ==
*土居氏
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「土居清宗」の詳細全文を読む
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