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土屋恵三郎 : ウィキペディア日本語版
土屋恵三郎[つちや けいざぶろう]
土屋 恵三郎(つちや けいざぶろう、1953年11月22日 - )は、神奈川県出身の高校野球指導者。
桐蔭学園高等学校在学時は捕手でキャプテン。現在、星槎国際湘南高等学校野球部監督。
== 人物・経歴 ==

* 1971年、桐蔭学園高在学3年次に同校の甲子園初出場を果たし、同大会でキャプテンとして初出場初優勝を飾る。
* 1972年法政大学に進学。捕手として江川卓とバッテリーを組み、その後日米大学野球日本代表にも選出された。代表では駒澤大学中畑清(現横浜DeNAベイスターズ監督)などと親交を深めた(中畑は桐蔭学園勇退時のパーティーにも列席している)。
* 法政大学卒業後、三菱自動車川崎を経て1982年秋に母校である桐蔭学園高野球部監督に就任。就任直後に同校初で春夏通じて12年ぶりの甲子園となる第55回選抜高等学校野球大会出場に導いた。
* 1988年第60回選抜出場時は、準決勝で当時選抜初出場であった上甲正典監督率いる宇和島東高校と対戦。延長16回の死闘の末に敗れた。この試合は後に名将と呼ばれる上甲監督をして、延長を戦った試合のベストゲームと言わしめ、この大会が上甲監督の甲子園初優勝となった。
* 1992年第74回夏の大会は高橋由伸等を擁して爆発的な打線で県大会を制し、甲子園でも東の横綱として優勝候補の呼び声が高かった。しかし開幕戦となる1回戦で当時初出場の沖縄尚学高校に延長戦敗北を喫し、これが現在まで桐蔭学園史上唯一の夏の甲子園緒戦敗退となっている。
* 桐蔭学園監督時は、通算10度の甲子園出場へ導いた(春5回、夏5回)。
* 2007年の秋季神奈川大会の後、監督を退き総監督に就任。後任監督には片桐健一が就いた。
* 2008年には長年高校野球の発展に貢献したとして、高野連から『育成功労賞』を受賞した。
* 2009年には2年振りに監督として現場復帰を果たすと、その夏の県大会で同年選抜出場の慶應義塾高校を破るなど快進撃を続け、10年ぶりの夏の甲子園まであと一歩となる決勝まで駒を進めた(優勝は甲子園初出場の横浜隼人高校)。
* 2009年秋には、県大会で横浜高校に7点先制を許すも大逆転勝ち、その後も神奈川2位で関東大会まで勝ち進み、選抜出場当確まであと1勝と迫ったが、ここでも東海大望洋高校に敗れ、選抜落選となった(この時最後まで選考で競っており、僅差で選抜出場を決めた日大三高は、選抜で準優勝した)。
* 2013年春の県大会は、準決勝で東海大相模に7-1で勝利。決勝では前年夏の決勝で敗れた相手、甲子園を沸かせた松井裕樹擁する桐光学園に4-0とリベンジし(ただし松井は登板せず)、久々の神奈川制覇となった。
* 2013年の夏を以って桐蔭学園監督を勇退した。同校の後任監督は桐蔭学園中学校野球部で全国制覇の実績を持つ大川和正。勇退時のパーティーには教え子の元プロ野球選手や野村克也夫妻など、プロ・アマ問わず数多くの球界関係者・有名人が列席し、実績・人脈をあらためて知らしめた。
* 2014年の4月より、星槎グループスポーツ振興室長に就任した。
* 2015年1月1日付で、星槎国際湘南高校野球部の監督に就任。同年夏の高校野球神奈川県大会では1勝を上げ、健在ぶりをアピールした。
* 監督として数多くのプロ野球選手を輩出したが、人間教育のポリシーとして、高校から直接プロに進むことは良しとせず、大学または社会人を経験したのちにプロに進むよう指導を行っている。従って2015年現在まで、高校から直接プロに進んだ教え子は存在しない。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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