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土屋 昌巳(つちや まさみ、1952年8月22日 - )は、静岡県富士市出身のミュージシャン、音楽プロデューサー、ギタリスト、血液型AB型。 『すみれ September Love』(1982年)のヒットで知られる一風堂のリーダー、エレキギター兼ボーカリストである。 == 概要 == *静岡県富士市出身。姉と共に幼少期よりクラシックピアノを習わされたが好きではなかった。ロックやギターに興味を持つも、父親の強い反対を受け、深夜に自宅の屋上でこっそり練習を重ねる毎日であった。その後、地元で開かれた数々のギターコンクールで優勝するなど、ギターテクニックに磨きをかけていき15歳で家出。ボブ・ディランの「窓からはい出せ」のタイトルの通り、文字通り風呂の窓からはい出し、1969年(昭和44年)に上京。年齢を偽りザ・ゴールデン・カップスのバンドボーイを勤めるも、ほどなく家族に連れ戻された。 *日本大学芸術学部放送学科に入学を機に再度上京。初めてのアルバイトで購入したヴィンテージギターを校庭で弾いていたところを、斉藤ノブに声をかけられ、以来音楽の世界で身を立てることとなる。本人も「僕が音楽業界に入るきっかけを作ってくれたのはノブちゃん」と言う通り、この出会いが土屋の運命を大きく変える事になる。 *1970年代に入ってからはスタジオ・ミュージシャンとして活動を開始。りりィのバックバンド「バイバイ・セッション・バンド」、大橋純子のバックバンド「美乃家セントラル・ステイション」を経て、1978年に見岳章、藤井章司、平田謙吾らと「一風堂」を結成し、1984年まで活動。その間、イギリスのバンドジャパンのワールドツアーにサポートメンバーとして参加したこともある。それがきっかけで1985年には同じイギリスのバンドであるデュラン・デュランのサイモン・ル・ボン、ニック・ローズ、ロジャー・テイラーが結成したアーケイディアのレコーディングにも参加している。その後ソロに転じ5枚のアルバムを発表。 *1990年よりロンドンに移住。1990年代はTHE WILLARD、BLANKEY JET CITY、マルコシアス・バンプのプロデュースで健在振りをアピール。その後LUNA SEAのギタリスト・SUGIZOの勧めで再びソロアーティストとしても復帰した。 *また2001年には佐久間正英の呼びかけで屋敷豪太、ミック・カーン、ビビアン・スーと共にThe d.e.pを結成。アルバム1枚とシングル2枚をリリースした他、単独ライヴやGLAYのライヴへのゲスト出演などをしている。2008年3月、加藤和彦、小原礼、屋敷豪太、ANZAとVITAMIN-Q featuring ANZA結成。12月にアルバムをリリース。2009年9月、ロック・フェスティバル「BUCK-TICK FEST 2007 ON PARADE」にソロ名義で出演。スティーヴ_エトウ、TOKIE、ひぐちしょうこがバックを務めた。 *2013年11月に15年振りに自身主宰のレーベルよりソロアルバムを発表。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「土屋昌巳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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