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土屋正勝[つちや まさかつ]
土屋 正勝(つちや まさかつ、1956年11月6日 - )は、千葉県旭市出身の元プロ野球投手である。 ==来歴・人物== 叔父は千葉県立銚子商業高等学校が第47回全国高等学校野球選手権大会で準優勝した際の左翼手〔「銚子商、悲願の初優勝」毎日新聞、1974年8月20日東京朝刊14面〕。土屋も銚子商に進学。1973年春から4期連続で甲子園に出場し、同年の第55回全国高等学校野球選手権大会では、2回戦で作新学院高の江川卓に延長12回の末投げ勝ち、ベスト8に進出。翌1974年の第46回選抜高等学校野球大会でもベスト8。だが、甲子園や練習試合等での酷使がたたったのか、同年夏は地区予選で肘を痛め、第56回全国高等学校野球選手権大会に出場は果たしたものの、甲子園には電気治療器を携えての登板となった。大会では土屋の快投と、篠塚和典(のち巨人)ら強力打線の爆発により、圧倒的な強さで見事優勝を成し遂げる。土屋は球威は衰えたものの、抜群のコントロールと投球術で相手打線を翻弄、5試合で失点わずか1という見事なピッチングを見せた〔『甲子園の星たち』(ベースボール・マガジン社)ISBN 978-4-583-61069-6〕。 同年秋のドラフト会議では高校生の目玉として注目を集め、中日ドラゴンズの1位指名を受けて入団。入団後も度々肘や肩の故障に苦しむが、1979年には開幕から、5番手の先発要員として起用される。同年は17試合に先発するが、わずか2勝と結果を残せなかった。その後も全盛期の球威が復活することは遂に無かったが、リリーフ・中継ぎとして息の長い活躍を見せた。1984年にロッテオリオンズに移籍。1986年5月10日の試合には1球で勝利投手になった。この年のシーズン終了後に現役を引退した。現在は郷里で保険代理業を営む。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「土屋正勝」の詳細全文を読む
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