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土山宗次郎 : ウィキペディア日本語版
土山宗次郎[つちやま そうじろう]
土山 宗次郎(つちやま そうじろう、元文5年(1740年) - 天明7年12月5日1788年1月12日))は、江戸時代中期の人物。江戸幕府旗本である。名は孝之(たかゆき)。父は土山孝祖、母は土山照苗の娘。妻は日下部七十郎の娘。
== 生涯 ==
田沼意次老中となって田沼時代が始まると、安永5年(1776年)に勘定組頭に登用された。天明3年(1783年)に工藤平助の「赤蝦夷風説考」を見て対ロシア政策の必要性を提言し、天明4年(1784年)に平秩東作荒井庄十郎に、天明5年(1785年青島政教をはじめ、山口高品菴原宣方佐藤行信皆川秀道里見平蔵引佐新兵衛大塚小一郎大石逸平鈴木清七最上徳内らに蝦夷地調査を行わせたとされる。その一方で、吉原・大文字屋の遊女、誰が袖を祝儀などを含めると1200両を払い身請けしたことで派手な生活ぶりが評判となり、親交のあった太田南畝から、狂歌で「我恋は天水桶の水なれや。屋根よりたかきうき名にぞ立つ」と詠まれた。
天明6年(1786年)8月、将軍・徳川家治が死去し、松平定信ら反田沼派が台頭すると、意次は老中職を罷免させられた。同年11月に富士見御宝蔵番頭となる。その後、買米金500両の横領が発覚し、その追及を逃れるため逐電し、平秩東作に山口観音に匿われるも発見され、天明7年(1787年)12月5日、斬首に処された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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