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明智頼重[あけち よりしげ]
明智 頼重(あけち よりしげ)は南北朝時代から室町時代の武将。美濃国可児郡明智城主。美濃守護土岐頼貞の九男頼基の子。土岐氏支流の明智氏の祖、あるいは二代目とされる。子孫に織田信長に重用されて織田四天王の一人に数えられ、本能寺の変を起こした明智光秀が有名。 == 伝記 == 美濃国池田郡で生まれる。観応2年(1351年)従兄〔父・頼基の兄である、土岐頼宗の子にあたる。〕にあたる明智頼兼の養嗣子となり〔『続群書類従』所蔵の「明智系図」では養子縁組の記載はなく、単純に土岐頼基の子とされている。〕、土岐明智家の家督と、可児郡明智・同郡姫郷・尾張国海東郡宮村の地頭職を相続する。その後は養父と同じく可児郡明智城に在城し、また足利将軍家に仕えて従五位下に叙任したとされる。明徳元年(1390年)出家して浄栄と号し、家督を嫡男の頼篤に譲っているが、その際に可児郡13郷、土岐郡15郷、多芸郡13郷の所領が頼篤へと安堵されており、頼重の代に明智氏は美濃国内に勢力を拡大している事がうかがえる。応永30年(1423年)明智郷にて82歳で没した。 兄弟には丸毛氏の祖となった兼貞、日比氏の祖となった頼高、藤田氏を称した頼助がおり、また子には嫡男・頼篤のほか、肥田氏を称した頼寿、池田氏を称した頼利、福島氏を称した頼衛、と米田氏を称した末子がいたとされる。 以上は、明智氏の後裔を称する宮城氏の「明智氏一族宮城家相伝系図書」による略歴であり、実像は不明。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「明智頼重」の詳細全文を読む
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