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土岐 頼長(とき よりなが、寛永19年(1642年) - 元禄7年5月10日(1694年6月2日))は、出羽上山藩土岐家の嫡子。出羽国上山藩主・土岐頼行の次男として生まれる。正室は真田信政の娘。官位は従五位下、左京亮。 頼行の嫡子となり、兄・頼殷とともに承応元年(1652年)、徳川家光に初御目見した。万治3年(1660年)、従五位下左京亮に叙任した。日頃から不行跡があり病弱でもあったため、延宝6年(1678年)に廃嫡された。代わって、兄・頼殷が嫡子となった。元禄7年(1694年)、53歳で没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「土岐頼長」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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