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土建屋 よしゆき(どけんや よしゆき、1955年10月25日 - 2014年7月31日)は、京都府京都市伏見区に在住し、主に関西で活動していたタレント。本名:廣部 吉行。所属事務所はオフィスとんで。 == 概要 == * 本業は“土建屋(土木建設業)”の大型重機オペレーターであり、土建屋の格好をしているのが特徴。島田紳助とは学生時代からの同級生で、一時期は紳助の番組に多数出演していた。趣味はモータースポーツ全般。 * 島田紳助が監督した鈴鹿8耐のレーシングチーム「チーム・シンスケ」ではピットクルーとして活躍。関西テレビ「紳助の人間マンダラ」出演時には番組からマレーシアを横断する国際格式のラリー「アジアクロスカントリーラリー」に長原成樹をナビに出場し、3位表彰台の実力を発揮する。免許は大型自動車、大型二輪、大型特殊、土木関係一式、4級船舶、PADIなどを取得。気のおけない仲間たちと「チーム土建屋あほなおっさんブラザース」というツーリングチームを結成し、リーダーとして毎年、春から秋の好天に限りバイクツーリングを楽しんでいた。過去最大74台を引き連れての壮大なツーリングを敢行したこともある。 * 「紳助の人間マンダラ」では、競艇、ウェークボード、ミニバイク、カート、スノーボードといったスポーツを何でもこなし、紳助より“スーパー40歳”の称号を受けた。また、同番組において、「廣部 吉行と六甲アイランズ」というコーラスグループを結成し、紳助作詞、高原兄作曲のCD「大阪の女」を発売。 * 一時期、仕事を巡って紳助と確執を起こしたため、一旦関係が断たれたが、その後、友人関係などは修復している。2009年のFNS26時間テレビ内の「笑っていいとも!増刊号スペシャル」のコーナー「テレフォンショッキング」に紳助がゲスト出演した際には、花を贈っている。しかし飾られたのはスタジオ内ではなく、ロビーだった。紳助引退後、土建屋に紳助から連絡があったそうで、「マスコミがいて、どこにも行けへん」、「助けてくれ」などとの弱音を吐いたという。 * 酒が全く飲めない。 * 2008年9月に原因不明の大病である抗リン脂質抗体症候群を患い、生死の境を彷徨うほどの重体だったが一時は奇跡の復活を遂げ、Like a Wind (サンテレビ)に出演し、元気な姿を見せていた。その後、京都の病院で療養していたが、2014年7月31日に肝不全のため京都市内の病院で58歳で死去した〔訃報 オフイスとんで公式ホームページ 2014年8月1日閲覧〕。8月3日に行われた通夜には紳助本人も参列し、8月4日の葬儀・告別式にはオール巨人ら約200人が参列した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「土建屋よしゆき」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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