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土御門久脩[つちみかど ひさなが] 土御門 久脩(つちみかど ひさなが、永禄3年(1560年) - 寛永2年1月18日(1625年2月24日))は、安土桃山時代から江戸時代の公卿・陰陽家。 堂上家(家格は半家・安倍氏)である、土御門家の31代目当主。土御門有脩(永禄5年に正式に土御門を称する)の子。実子に左兵衛督(従二位・非参議)・土御門泰重、民部卿・倉橋泰吉(倉橋家初代)、五辻斉仲(非参議・五辻之仲の養子)らがいる。 ==経歴== 幼き時より天文や暦道を学ぶ。元亀3年(1572年)に元服し、元亀4年(1573年)14歳の時に陰陽頭となる。以後、左馬助、16歳で従五位下、21歳で正五位下、天文博士と歴任した。織田信長、豊臣秀吉と仕えていたが、文禄4年(1595年)に秀吉の怒りをかって京を追放され若狭国名田庄に住す。これは豊臣秀次に連座したものといわれている。慶長5年(1600年)再び勅命により上洛。翌年に名田庄を引き上げ京に在館する。徳川家康に陰陽道宗家と認められ、183石6斗の家禄を与えられた。公家昵懇衆として家康に仕えた。家康、秀忠、家光と徳川家三代の将軍宣下、また後水尾天皇即位を祝う天曹地府祭を執行した。元和7年(1621年)に従三位・非参議となる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「土御門久脩」の詳細全文を読む
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