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土御門東洞院殿[つちみかどひがしのとういんどの] 土御門東洞院殿(つちみかどひがしのとういんどの)は、平安京左京北辺四坊二町に所在した里内裏。正親町南・東洞院東・土御門北・高倉西の1町4方を敷地としていたことから正親町殿とも呼ばれ、後の京都御所の原形となった。 == 平安時代 == 堀河天皇が即位前に御所としていたことが知られている〔『水左記』永保元年12月2日条〕。その後、長承2年(1133年)に藤原忠実の娘泰子が鳥羽上皇に入内するに先立ってその御所として修造された。その後泰子は鳥羽上皇の皇后に冊立され、保延6年(1140年)に女院(高陽院)となった彼女の御所として正式に定められ、「土御門殿」「正親町殿」と呼ばれた。高陽院の死後、ここは藤原邦綱の邸宅となったが、仁安2年(1167年)に六条天皇が、安元3年(1177年)に高倉天皇が、短期間ながら里内裏として用いている〔高倉天皇は太郎焼亡の際に、当時の里内裏だった閑院殿が延焼の危険にさらされたことにより一時的に土御門東洞院殿に避難した。〕。
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