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土御門泰重[つちみかど やすしげ] 土御門 泰重(つちみかど やすしげ、天正14年1月8日(1586年2月26日)-寛文元年8月19日(1661年9月12日))は、江戸時代初期の公卿・陰陽家。 ==経歴== 土御門久脩の子。妻は織田信重の娘。子に泰広・隆俊・泰福らがいる(ただし、泰福の父については諸説あり)。弟は倉橋家初代泰吉。 父は豊臣秀次の事件に連座して失脚したため、一時衰微していたが、豊臣秀吉死後の慶長8年(1603年)に元服して正六位上右近将監兼蔵人に任じられ、同17年(1612年)には中務大丞に転じる。だが、家業の暦学において失態があり、元和2年(1616年)に賀茂氏系の幸徳井友景に暦学の権限を譲る。その結果、2年後には友景は陰陽頭に任じられ、泰重は後に天文博士から左兵衛督に転じた。しかし、後に友景と不仲になり土御門家による陰陽道再興を志向したために、陰陽道の権限を巡って安倍氏系土御門家と賀茂氏系幸徳井家の長期にわたる内紛の原因となった。 寛永12年1月5日(1635年2月22日)に従三位となり、慶安2年(1649年)に従二位まで昇った。 69歳で薨去。日記に『泰重卿記』がある。
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