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土持 盈信(つちもち みつのぶ、天正16年(1588年) - 寛文8年(1668年)は、江戸時代の武士。戦国時代・安土桃山時代の武将・土持久綱の三男。通称は次郎九郎、左馬権頭。諱は始め親綱、のち親経。島津忠恒に仕えた。 幼少より島津義弘に奉公し、慶長6年(1601年)、島津家久より末吉(現・曽於市末吉町)の内、500石を拝領。父・久綱の代で拝領した大隅国栗野(現・湧水町)の知行地500石と合わせ千石となり、江戸時代、大隅国大崎に移るとその地頭職となり、その後は高江(現・川内市)・曽於郡・山崎(現・さつま町)などの地頭職を務めた。 なお、盈信の系譜は以後(久種 - 真綱 - 家綱)と鹿児島藩士として存続した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「土持盈信」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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