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土田 世紀(つちだ せいき、1969年3月21日 - 2012年4月24日)は、日本の漫画家。 == 人物 == 秋田県平鹿郡大森町(現在の横手市大森町)出身。男性。秋田市立南中学校、秋田県立新屋高等学校卒業。 幼い頃はそれほど漫画を読んでいたわけではなく、姉や友人が買ったものを読ませてもらう程度で、数を読むようになったのも漫画家としてデビューした後だった〔別冊宝島(409) p.136〕。絵に関しても近所に住んでいた人間から基礎を教わった程度だったが〔BUBKA pp.18-20.〕、絵を描くことはむしろ得意な方であり、科学技術庁長官賞を受賞したこともあったという〔。漫画らしきものを描き始めたのは高校生になってからで、その頃からクラスの仲間に見せてまわっていた。また高校時代の土田には自分の描いた不良たちのような一面もあり〔「土田世紀インタビュー」『マンガ狂い咲き』コアマガジン、1998年、p.226〕、「気合いの入った」髪型にするだけでなく、飲酒運転や無免許運転で捕まることもしばしばだった〔キネ旬ムック p.203〕。高校2年生の時に、ニューヨークを舞台にした青春ストーリー〔別冊宝島(409) p.137〕を『漫画アクション』の新人賞に応募し、奨励賞を受賞した〔。 1986年、『残暑』にて『モーニング』ちばてつや賞一般部門・入選を受賞、次いで『未成年』(第3話として収録)にて『月刊アフタヌーン』四季賞を受賞した。『未成年』の舞台は東北であり(奨励賞を獲ったニューヨークと同じく)都市に対置される地方人の「泥臭さ」をテーマとして意識するようになる。実際に土田はインタビューで「僕が何を描いても泥臭くなっちゃうと思うんですよ。特に舞台がどこっていうのを意識しているわけじゃないんだけど」と語っている〔。 主な作品に「俺節」「編集王」「ギラギラ」「同じ月を見ている」など。ヒットが続き、1990年代半ばには一週間に2日しか家に帰れない日々が続いた〔『マンガ狂い咲き』p.219〕。『同じ月を見ている』は、平成11年度文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞。2005年には窪塚洋介主演で映画化もされた。2000年に『編集王』がフジテレビでドラマ化。2008年に『ギラギラ』がテレビ朝日でドラマ化。 2012年4月24日、滋賀県栗東市の自宅で死去〔「編集王」の土田世紀氏が死去 日刊スポーツ 2012年4月27日閲覧。〕〔時事ドットコム:土田世紀氏死去(漫画家) 時事ドットコム 2012年4月29日閲覧。〕。。死因は肝硬変〔。漫画家の西原理恵子によれば、20代の頃から酒が入ってないと他人に会えないようなアルコール使用障害気味のタイプだったという〔西原理恵子、吾妻ひでお『実録!あるこーる白書』徳間書店、2013年、p.197〕。 結婚はしていたが、土田の希望により妻の存在は明らかにしていなかった。籍を入れない事実婚であったため、妻は葬儀では喪主を務めなかった。 『週刊漫画ゴラク』連載中の『かぞく』が遺作となった。亡くなる直前まで『夜回り先生』の最新作を執筆中だった〔ebookjapan編集長のおススメ 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「土田世紀」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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