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在外父兄救出学生同盟(ざいがいふけいきゅうしゅつがくせいどうめい)は、太平洋戦争終結後の日本において、外地に取り残された人々の子弟で、終戦当時内地にいた学生が中心になって結成した組織。引揚者の援護と引揚げの促進運動を行った。 == 北朝鮮潜入の記録 == 同盟員の中には、単身朝鮮北部に渡り、金日成本人に在朝鮮日本人の窮状を直訴した者もいる。金日成は後年、「金日成全集」に「日本『在外父兄救出学生同盟』成員に行った談話」として、このことを記している。 * 1946年5月15日 東京を出発。 * 1946年5月26日 釜山に到着。 * 1946年5月27日 京城に到着。 * 1946年5月29日 38度線を越境し北へ。 * 1946年6月1日 平壌に到着。 * 1946年6月3日 金日成との面会に成功。「今後もソ連軍から特別の命令が出ない限り、日本人の帰還を認めるだろう」の言葉を得た。 * 1946年6月11日 崔庸健保安局長との面会に成功。「今までのような危険な脱出ではなく、より安全な方法をもって君たちの父兄を」の言葉を得た。 * 1946年6月12日 海州に到着。 * 1946年6月13日 38度線を越境し南へ。 * 1946年6月17日 京城に到着。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「在外父兄救出学生同盟」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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