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地方主権の会(ちほうしゅけんのかい)は2003年に結成された埼玉県議会の会派。2007年3月をもって解散となった。民主党議員と非自民党・非共産党の無党派議員が参加した。国会における政界再編の流れや新党結成の影響を受け離合集散した県議によって組織された会派である。結成に至るまでの流れとともに前身の会派についても本稿にて記す。 == フロンティア == *1994年9月、国会における政界再編の流れに呼応し、保守系無所属の県議松本安弘らが非自民勢力の結集を目指し会派「彩の国・フロンティア・県民連合」を結成。代表は松本安弘。参加者は船津徳英・長沼明(以上無所属)・長沼威(自由民主党を離党し参加)。4議席で交渉会派となる。自民党・公明党・日本社会党・日本共産党に次ぐ第5会派となり、土屋義彦知事の与党会派として活動。 *1994年12月の新進党結党を受け、同党の系列会派に移行。 *1995年4月の統一地方選挙埼玉県議会議員選挙において長沼明が落選(1996年4月、志木市議会議員選挙に転じ5選。2000年4月、6選)するも、新たに当選した長峯正之(新進党公認)・近藤善則・浦野清(以上無所属)が会派に加わり6議席となる。 *県議会では社会党と「歩みの会」(後述)と同数の勢力となる。自民党・公明党に次ぐ第3会派となり、交渉会派となる。土屋知事の与党会派として活動。 *新進党推薦無所属で当選した船津徳英と保守系無所属で当選した長沼威は選挙後新進党に入党。 *1995年9月、自民党を離党し新進党に入党した並木正芳が会派に加わり7議席となり、社会党と「歩みの会」を1議席上回る。 *1995年12月、無所属の中村正義が会派に加わり8議席となる。 *1996年10月、並木が第41回衆議院議員総選挙に転出し7議席となる。並木は新進党公認で立候補し当選。 *1997年9月、同年5月投開票の川口市長選挙の自民党推薦候補者一本化をめぐって執行部決定に反する行動をしたことを理由に同年4月自民党を除名され無所属となった葛生恵二が入会。再び8議席となる。 *1997年12月の新進党解散後、長峯は無所属を経て民主党に、また船津・長沼威・葛生は自由党に参加するも会派に留まった。これ以後、並木のほか埼玉県選出の衆議院議員石田勝之・中野清が参加した改革クラブ(当初は「フロンティアネット」という仮称が付けられていた)系列の会派となる。 *1998年6月から会派名を「フロンティア」と改め、地域政党色を強める。参議院議員選挙では公明党とともに浜田卓二郎を支持した。 *1999年4月の統一地方選挙埼玉県議会議員選挙に際し葛生は出馬せず引退。松本ら現職7名が立候補。公明党・民主党・連合埼玉などの推薦を受ける。松本・船津・長沼・近藤が当選するも長峯(2000年6月、第42回衆議院議員総選挙に民主党公認で立候補し落選。その後民主党を離党。2002年10月、三郷市長選挙に無所属で立候補し落選。2007年4月、埼玉県議会議員選挙に無所属で再出馬し落選)・浦野(2000年8月、富士見市長選挙に転じ当選。2004年8月再選。2008年10月落選)・中村(2002年4月、狭山市長選挙に立候補し落選。2003年4月、狭山市議会議員選挙に転じ6選。2007年4月、7選)が落選。4議席で第5会派となり、引き続き土屋知事与党会派となる。 *1999年12月、近藤が自民党に入党し会派離脱。「フロンティア」は交渉会派に必要な人数4議席を割り、代表質問ができなくなった。 *2000年12月、松本が「歩みの会・民主」に入会し会派離脱。残った船津・長沼威は会派解消を決め、2000年12月末日をもって「フロンティア」は解散。2001年1月、長沼威は自由党を離党し、自民党に入党。間もなく自民党県議団に入団した。船津は自由党籍無所属で活動したが、2001年11月に「歩みの会・民主議員団」に加わった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「地方主権の会」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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