|
坂上 忍(さかがみ しのぶ、1967年6月1日 - )は、日本の俳優・歌手・映画監督・演出家・司会者・コメンテーター。東京都杉並区西荻窪出身。 == 略歴 == 兄(元子役で現在は映画プロデューサーの坂上也寸志〔子役時代には1971年7月17日に公開された大映映画『ガメラ対深海怪獣ジグラ』に出演している。現在、映像作品の企画制作会社である株式会社ピーズインターナショナル の代表取締役。携わった代表的な作品として『わが母の記』がある。〕)が劇団に入っていたところ、祖母が死んだときに忍が閉じこもりがちになったので〔吉田豪『人間コク宝』p.8〕〔無理して盛り上げない…坂上忍 - 読売新聞夕刊、2015年2月23日13面「臥薪笑胆」〕、劇団で友達を作らせた方がいいとの教育方針で、3歳から劇団若草に所属した。テレビドラマの子役としてデビューし、天才子役と言われた。 しかし家庭面では、ボートレース狂いの父親(坂上精一郎名義の小説「歳月のかたみ」がある作家、2012年没)が出版社経営に失敗しての倒産とギャンブル癖で、借金を抱える。杉並区立桃井第三小学校の高学年時から杉並区立荻窪中学校時代にかけて暴力団が自宅まで借金の取立てに押しかける環境で育つ〔吉田、p.16〕。15歳の時に両親が離婚。母親に引き取られるも、母親が父親の連帯保証人だったため、中学までで辞める予定が、1億円以上の借金返済のため子役の仕事を続ける。坂上だけでなく、母も仕事を3つ掛け持ちし、昼夜問わず働いた。有名人ゆえに学校でたびたびいじめを受け、自殺を考えたことが100回以上あるという〔坂上忍『ひとりごと』p.98(文藝書房、1996年)〕。14歳の時に個人事務所を立ち上げ〔メインインタビュー 坂上忍【半生を反省】 前編(2015年2月9日) - MAG! 2014秋号〕、中学卒業後もテレビ・映画・舞台などで活躍も、東海大学付属高輪台高等学校に進んだが中退した〔Sponichi Annex タレント名鑑 〕。 子役イメージから抜け出すのに苦しみ〔坂上忍、初のベッドシーンで大失態「まあ、怒鳴るんですよ『そんなんじゃ見えねえよ!』とか」「パニクっちゃって」 - ライブドアニュース、2014年5月30日〕、映画『クレイジーボーイズ』(1988年)のヤクザ役が転機になったという。 2005年6月4日に構成・演出を務める演劇集団「コントレンジャー・オニオンスライス」を旗揚げした。 2009年6月1日、芸能スクール・アーティストの発掘・育成プロダクション「アヴァンセ」キッズアクタープロダクションを開校。それと並行でネオモデルタレントスクールの特別講師も担当している〔ネオモデルタレントスクール 特別講師紹介 〕。 2012年、フジテレビ系『笑っていいとも!』内のコーナー「まったく行列のできない人生相談所」へ出演した際に毒舌を吐いたことがきっかけで(内容は女性お笑いコンビのオアシズの相談に対して、直接的な答えを出さず、「それ以外にいいところがあるのでそれを生かすべきである」という、アドバイスを送ったもの)、バラエティ番組の出演が相次ぐようになり〔【ウラ芸能】坂上忍、たけし絶賛のルーツ 〕、ニホンモニター社『2014上半期タレント番組出演本数ランキング』では、出演番組数216番組・総合16位となった〔ニホンモニター プレスリリース 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「坂上忍」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|