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坂上浄野[さかのうえ の きよの]
坂上 浄野(さかのうえ の きよの、延暦8年(789年) - 嘉祥3年8月4日(850年9月13日))は、平安時代初期の貴族。名は清野とも記される、大納言・坂上田村麻呂の四男。官位は正四位下・右兵衛督。 == 経歴 == 大同元年(806年)皇太子・神野親王(のち嵯峨天皇)の春宮少進となるが、武芸に優れ、特に騎射の才を認められて親王に寵愛された。嵯峨朝では、弘仁10年(819年)に従五位下・陸奥鎮守府将軍に叙任、翌弘仁11年(820年)には陸奥介も兼務した。弘仁13年(822年)には右近衛少将に任官し、翌年には従五位上に進んだ。 淳和天皇の代になると、天長元年(824年)薩摩守、次いで土佐権守に左遷される。 仁明朝では、天長10年(834年)正五位下・陸奥出羽按察使に叙任され、再び東北の経営にあたるが、蝦夷の人々と友好を保ち無事勤め上げた。承和3年(836年)従四位下。承和6年(839年)役目を終えて帰京し、右馬頭に任ぜられる。承和9年(842年)右兵衛督、承和12年(845年)従四位上・兼因幡守、嘉祥3年(850年)正四位下に至る。同年5月に相模守を兼ねるが、8月4日に卒去、享年62。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「坂上浄野」の詳細全文を読む
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