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坂本政均 坂本 政均(さかもと まさひら〔『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 上巻』467-472頁。〕、1831年12月7日(天保2年11月4日〔〔『明治過去帳』新訂初版、294頁では「天保2月12月」。〕)- 1890年(明治23年)1月15日〔)は、幕末の幕臣、明治期の司法官。元老院議官。旧姓・赤井、通称・三郎〔。「阪本」と表記される場合がある〔『明治過去帳』新訂初版、294頁「阪本政均」。〕。 ==経歴== 高松藩儒・赤井東海の第三子として生まれ、幕臣・坂本敬水、かよ夫妻の養子となる〔〔『日本人名大事典』第3巻、75頁。〕。杉田玄端、緒方洪庵、広瀬玄恭などから蘭学を学んだ〔〔。 明治政府に出仕し、慶応4年6月23日(1868年8月11日)民政裁判所留役に就任〔。以後、同組頭、会計官権判事、大蔵少丞、民部少丞、大蔵権大丞などを歴任〔。 明治3年11月20日(1871年1月10日)刑部省に転じ大解部に就任〔。以後、司法大解部、同少判事、同権中判事、同中判事、大坂裁判所在勤、京都裁判所長、四等判事、鶴岡裁判所長、米沢裁判所長、福島裁判所長、判事、宮城上等裁判所長心得、広島控訴裁判所長、大審院詰、高等法院予備裁判官、同陪席裁判官、法律諮問会員などを務めた〔。 1886年5月10日、元老院議官に就任し〔、1890年1月、在任中に病のため死去した〔〔〔。
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