翻訳と辞書 |
坂田祐[さかた たすく]
坂田 祐(さかた たすく、旧姓・中村、1878年2月12日 - 1969年12月6日)は、日本の陸軍軍人、教育者、関東学院院長。学校法人関東学院の基礎作りに貢献した。 == 来歴 ==
=== 初期 === 旧会津藩士の父・中村富造、母ミエの二男として、秋田県鹿角郡大湯村(現・鹿角市十和田大湯)で生まれる。母方の祖父は白虎隊士中二番隊長の日向内記。両親は斗南藩領(現・青森県むつ市)に移ったものの困難な生活を余儀なくされ、廃藩後に大湯村に永住することとなった。一家の生活は苦しく、1892年(明治25年)毛馬内小学校高等科(現・鹿角市立十和田小学校)第3年で中退し、大湯村の不老倉銅山で働いた。しかし、勉学の志止みがたく、1896年(明治29年)故郷を出て東京に向かい、東京、横浜、浦賀などを転々としたが、最後は足尾銅山で1898年(明治31年)まで働いた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「坂田祐」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|