翻訳と辞書
Words near each other
・ 坊城俊克
・ 坊城俊厚
・ 坊城俊完
・ 坊城俊定
・ 坊城俊成
・ 坊城俊政
・ 坊城俊昌
・ 坊城俊樹
・ 坊城俊民
・ 坊城俊章
坊城克俊
・ 坊城定資
・ 坊城家
・ 坊城貞資
・ 坊城通
・ 坊城顕信
・ 坊城駅
・ 坊子
・ 坊子区
・ 坊守


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

坊城克俊 : ウィキペディア日本語版
坊城俊克[ぼうじょう としかつ]
坊城 俊克(ぼうじょう としかつ、享和2年9月11日1802年10月7日) - 慶応元年7月20日1865年9月9日))は、幕末公家坊城俊親の子、母は勧修寺経逸の娘〔『公家事典』550-551頁。〕。坊城俊明の養子となる〔。
京都で誕生する。文化10年(1813年)叙爵。職事を長年にわたって務め、職事の主席である頭弁蔵人頭右大弁)に昇る。嘉永3年(1850年参議、左大弁。安政4年(1857年権中納言となる。また議奏となり、安政6年(1859年)には武家伝奏として、条約勅許問題、水戸降勅、将軍継嗣問題和宮降嫁など、朝幕の調停に大きく関与した。また文久元年(1861年勅使として和宮降嫁に従って江戸に入り、武家伝奏任命の際の血誓を廃止することに成功した。文久2年(1862年大納言元治元年(1864年大宰権帥を兼任。慶応元年(1865年従一位となるも、同年没。
==脚注==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「坊城俊克」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.