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坊門家[ぼうもんけ]
坊門家(ぼうもんけ)は、鎌倉時代から室町時代にかけて存在した公家。坊門を名乗る家系はいくつか存在するが、藤原北家の関白藤原道隆の子孫が著名である。
== 歴史 ==
=== 平安時代 === 藤原道隆の子の伊周と隆家は叔父道長と対立し、花山法皇に矢を射かけた罪で左遷された(長徳の変)。後に罪を許され、隆家の子の経輔は正二位権大納言まで昇進したが、道隆の弟の道長の子孫が藤原北家の嫡流となり摂政・関白を世襲していったため、道隆の子孫はしばらく不遇の時代を送ることになる。 平安時代の後期になると、経輔の孫の経忠は妻の実子が鳥羽天皇の乳母であったことから院近臣として白河法皇および鳥羽法皇に仕え従二位中納言まで昇進した。経忠の孫の信隆は生前は正三位非参議止まりであったが、安徳天皇が平家一門とともに都落ちすると、信隆の娘で高倉天皇の典侍となっていた殖子(七条院)所生の尊成親王(後鳥羽天皇)が皇位を継承し、後鳥羽天皇の外祖父にあたる信隆は従一位左大臣を追贈された。坊門を家名としたのは信隆の子の信清と隆清の代からであるが家名の由来は信隆の私邸が七条坊門小路沿いにあったことによる〔槇,652頁〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「坊門家」の詳細全文を読む
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