翻訳と辞書
Words near each other
・ 坪井下
・ 坪井下村
・ 坪井与
・ 坪井中学校
・ 坪井久馬三
・ 坪井九右衛門
・ 坪井九馬三
・ 坪井仙次郎
・ 坪井令夫
・ 坪井俊映
坪井俊樹
・ 坪井保菜美
・ 坪井信三路
・ 坪井信良
・ 坪井信道
・ 坪井元政
・ 坪井勧吉
・ 坪井善勝
・ 坪井善明
・ 坪井営業所


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

坪井俊樹 : ウィキペディア日本語版
坪井俊樹[つぼい としき]

坪井 俊樹(つぼい としき、1986年7月7日 - )は、元プロ野球選手投手)。兵庫県西脇市出身。
== 来歴・人物 ==
高校時代は、エースナンバーを付け3年春の甲子園に出場。その前年、秋の大会の途中から調子を崩し、1学年下の大前佑輔(元JR東日本)にエースの座を奪われる。甲子園でも大前が実質的にエースだったが、勝負どころのリリーフで先輩としての意地をみせ4強入りに貢献する。
筑波大学では体育専門学群に所属し、教職課程も履修していた。 大学2年秋に首都大学野球でシーズン8勝(1敗)を挙げてMVP、最優秀投手、ベストナインの3冠を獲得。そして関東地区選手権も勝ち抜いて明治神宮大会にも出場した。その後も活躍を続け最終的には3度の最優秀投手に輝き、歴代4位の通算34勝を挙げた。さらに日本代表として、2008年7月の世界大学野球選手権大会に出場した。首都大学リーグ通算68試合登板、34勝19敗、防御率2.09、350奪三振。
ドラフトでロッテから4位指名を受け、11月19日に契約金4,000万円、年俸1,000万で仮契約。国公立大学では松家卓弘東大卒、元日本ハム)以来、4年ぶりのドラフト指名選手である。なお筑波大学では7人目(前身校を含む)。
シーズンは、イースタン・リーグで13試合に登板するも、防御率5点台であった。は、イースタン・リーグで15試合に登板し防御率は3点台に改善したが、翌は30試合に登板したものの防御率4点台と結果を残せなかった。一軍での登板は無く、10月9日、戦力外通告を受け〔戦力外通告のお知らせ - 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト 2011年10月9日〕、12月2日、自由契約公示された。
4月より、筑波大学大学院人間総合科学研究科に進学し、2014年より筑波大学野球部のコーチに就任。
1月より仙台大学野球部のコーチに就任。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「坪井俊樹」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.