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坪内 ミキ子(つぼうち みきこ、1940年4月12日 - )は、東京府(現:東京都)出身の女優・タレント。 == 人物・略歴 == 父親は演劇評論家・坪内士行(宝塚歌劇団職員・宝塚音楽学校の顧問も歴任した)、母親は宝塚歌劇団1期生の元トップ娘役で宝塚歌劇団卒業生の雲井浪子(本名:坪内操、旧姓:高井)、母方の伯母は宝塚歌劇団1期生で宝塚歌劇団卒業生の八十島揖子、母方の叔母は宝塚歌劇団15期生で宝塚歌劇団卒業生の緒島なお子と、演劇にゆかりのある家庭に生まれた(士行は坪内逍遙の兄の子で、一時、逍遙の養子だったが、1919年に養子縁組を解消した)。日本女子大学附属豊明小学校を経て、日本女子大学附属中学校・高等学校在学中に宝塚音楽学校受験を試みたが、元タカラジェンヌであった母親に大反対されて受験を断念する。高校卒業後、東宝現代劇の研究生となり、1963年に早稲田大学文学部英文科を卒業。市川雷蔵主演の大映映画「陽気な殿様」でデビュー。大学卒業の女優であることから、「学士女優」と呼ばれて、時代劇女優として人気を集める。大映の看板女優としての活躍を経て現在はテレビドラマやクイズ番組、情報バラエティ番組の他、コメンテーター、執筆など幅広く活動。温かい人柄で人気を集める。 「座頭市」「若親分」「悪名」などの各シリーズをはじめ、「影を斬る」「江戸無情」「巨人大隈重信」など30数本の映画に出演。 1965年以降はテレビを中心に、女優・タレントとして活動。NHK大河ドラマ「太閤記」、フジテレビ「意地悪ばあさん」の他、NHK「連想ゲーム」のレギュラー回答者として12年間、「3時のあなた」のキャスターを3年間務めた。その後もNHK「生活ほっとモーニング」日本テレビ「おもいッきりテレビ」等の人気テレビ番組に出演していた。また“坪内ミキ子の冠婚葬祭・お付き合いマナー教室”を女性セブン誌に、“私の子育て”を読売新聞に執筆。 1987年総務庁・青少年問題審議会委員、1988年エネルギーと原子力を考えるフォーラム委員を務め、1996年から更生保護法人・更生保護事業振興財団の評議員に就任。 また、実母・雲井浪子を介護した経験を基にして、介護問題にも取り組んでいる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「坪内ミキ子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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