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坪野哲久[つぼの てっきゅう] 坪野哲久(つぼの てっきゅう、1906年9月1日-1988年11月9日)は、日本の歌人。本名、坪野久作。妻は歌人の山田あき。 == 経歴 == 石川県羽咋郡志賀町出身。東洋大学文学部支那哲学科を卒業後、「アララギ」に入会し島木赤彦に師事。赤彦没後は「ポトナム」同人となる。プロレタリア歌人同盟を結成して「短歌前衛」を創刊。プロレタリア歌人として出発し、大胆な口語自由律短歌を発表するようになった。1930年に第一歌集「九月一日」を刊行するも発禁処分を受けた。東京ガスの人夫として働くも労働組合運動に参加したことから解雇され、小林多喜二『蟹工船』などを出版したプロレタリア系出版社戦旗社に勤務。社員であったために検挙され執行猶予判決を受ける。再び東京ガスの社外工となるも再検挙。ストライキ中に喀血し療養生活を送る。1935年からは焼き鳥の屋台を出して生活するようになる。 1936年、歌誌「鍛冶」(戦後、「航海者」と改題)を創刊。文語定型短歌へと移行する。1940年には合同歌集『新風十人』(八雲書林)に参加〔参加者は、坪野哲久のほかに、筏井嘉一、加藤将之、五島美代子、佐藤佐太郎、斎藤史、館山一子、常見千香夫、福田栄一、前川佐美雄。また、1998年に石川書房より文庫版が刊行された。〕。戦時中は思想的な圧力により発表活動を狭められていき、1943年には治安維持法違反で検挙されたが起訴猶予となった。 戦後は渡辺順三らと「人民短歌」を創刊、新日本歌人協会の中心人物として活躍。1955年より赤旗歌壇選者。1972年、歌集『碧厳』で第23回読売文学賞を受賞。 評伝に山本司『初評伝・坪野哲久』がある。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「坪野哲久」の詳細全文を読む
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