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垣内 俊哉(かきうち としや、1989年4月14日 - )は、日本の実業家。株式会社ミライロの創業者で代表取締役社長。 ユニバーサルマナー検定を主催している一般社団法人日本ユニバーサルマナー協会の代表理事も務める。 == 人物 == 1989年、愛知県安城市に出生、幼少期から大学入学までを岐阜県中津川市で過ごす。骨形成不全症のため、幼少期より骨折が多く、手術を10数回経験している。 2004年、岐阜県立中津高等学校に入学するも、リハビリに励むために中退した。その後、高等学校卒業程度認定試験(旧大検)により大学受験資格を取得した。 2008年、立命館大学経営学部に入学。大学2年時にクラスメイトと起業し、公的機関や新聞社が主催するビジネスプランコンテストで13の賞を獲得した。 2010年、ビジネスプランコンテストの賞金を元手とし、株式会社ミライロを設立。創業当時は、食べるのにも苦労する状態で、豆乳を主な食事としていた。〔「車いすの視点」でバリアをビジネス価値に変える ビジョナリー 2014年7月11日〕 2011年、東日本大震災の際、被災地に車いすを贈る支援活動に取り組んだ。漫画家、井上雄彦の協力もあり、この活動は世界中を巻き込むものとなった。〔福祉施設に災害対応車いす 福祉コンサル会社社長 垣内俊哉さん 読売新聞 2011年5月22日〕〔ハートチェアプロジェクト報告書 ミライロ公式HP 2011年8月1日〕 2013年、ニッポン放送主催のビジネスコンテスト「みんなの夢AWARD3」にて最優秀賞を受賞。武道館にて8,000人の聴衆を前にプレゼンを行った。〔日本一の夢は難病抱える23歳「日本をUD先進国へ」 オルタナ 2013年1月31日〕 この際、最優秀賞の賞金2,000万円に対し「私たちに必要なのは現金ではなく、雇用を作る2,000万円分の仕事」と述べ、受け取りを辞退した。 同年4月、手術のため一時休業を発表。術後の経過不良による心肺停止で3日間の昏睡状態に陥った。その後、数ヶ月のリハビリを経て業務に復帰した。〔生死を彷徨う。って、そういうことね ミライロ 垣内俊哉のブログ 2013年5月2日〕 同年8月、株式会社電通とユニバーサルデザイン領域のビジネス開発における業務提携を発表した。〔電通とミライロがユニバーサルデザイン領域のビジネス開発で業務提携 共同通信 2013年8月26日〕 2014年、日経ビジネス「THE 100 - 2014 日本の主役」にて、日本を変える100人として選出された。 2015年、日本財団パラリンピックサポートセンター顧問に就任。 幼少期より車いすを使用しており、起業するまでは車いすマラソンや車いすバスケットボールの選手として活躍していた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「垣内俊哉」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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