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城 みちる(じょう みちる、1957年11月18日 - )は、日本の歌手・タレント。本名は城谷 晃太郎。 == 来歴・人物 == 広島県安芸郡音戸町(現呉市)出身。音戸町は呉市から海を隔ててすぐの倉橋島にあり、城谷家は江戸期には、両替商として浅野藩の藩札を扱っていた〔「新 家の履歴書」『週刊文春』2013年5月23日号、p.94-97〕。明治になってから造り酒屋と郵便局・電報局を始めて、父親の代で電器店を開いた。実家は八百坪の土地に、築二百年を越える木造建築で、二階は全て畳で百畳あり、六つの部屋が襖で仕切られていたという。裏山から引いた水を使い、現在も島で一軒だけ、水道契約をしていないという〔。 武田学園呉高校(現武田高校)→明治大学付属中野高校定時制→堀越高等学校卒業→駒澤大学中退。 1972年(昭和47年)中学三年の時、「スター誕生!」の広島県予選で本選出場に残り、翌1973年(昭和48年)「スター誕生!」第7回のチャンピオンとなる。芸能事務所社長長良じゅんの自宅に1年間下宿〔。同年『イルカにのった少年』で東芝EMIより〔実家が東芝チェーンストアーだったこともある。〕歌手デビューした。デビュー曲の曲名を決めたのも長良で、鑑賞していた映画に出てきた『沈没船船首のイルカに乗った少年の像』より曲名が決まった〔。 『イルカにのった少年』は50万枚の大ヒット〔。童顔で細見のルックス、歌唱力で、一躍トップアイドルになる〔。1975年(昭和50年)の沖縄海洋博では、日本代表として歌唱した〔。10枚のシングルレコードを出し20歳で引退(芸能活動休止)。その後駒澤大学に入学したが中退。父との約束〔歌手活動は高校3年間だけでその後は大学に行って家業を継ぐというもの。〕通り、帰郷して1981年(昭和56年)から長い間、実家の電器店を経営〔イルカに乗った少年の銅像がある。〕した。 人気絶頂時に伊藤咲子と交際し、それをお互い認めたため人気を落としたといわれる〔。当時のアイドルも、みんな恋愛はしていたが、アイドル同士というのは無かったので、大きく取り上げられたのではないかと話している〔。伊藤とは4年くらい交際し、城の引退後もしばらく付き合っていたという〔。24歳の時、一般の女性と結婚するが1年で離婚。 1986年(昭和61年)、長良に誘われビートたけしと会食。ビートたけしは「イルカにのった少年はどこに消えた?」などと、城を漫才のネタに使っていたので、一言文句でもと思ったが、ビートたけしから「来月から始まる番組(「痛快なりゆき番組 風雲!たけし城」)に出ないか」と出演依頼があり〔〔、悩んだ末、芸能界に復帰した〔「'70〜'80年代アイドル"あの人はいま"」『週刊現代』2012年5月19日号、p.61〕。芸能活動再開後はタレントとしても幅を広げ「しあわせ家族計画」や、懐メロ特集など多数のテレビ番組に出演している。 現夫人は地元広島でリポーター業などを行う山本けいこ〔山本敬子、城谷けいことも。1966年12月20日 - 。『ひろしま満点ママ!!』金曜リポーター(隔週)や『くれ情報ステーション』などのレギュラー番組を持っている。公式サイト ブログ1 ・ブログ2 〕で、1991年(平成3年)に結婚した〔プロフィール - 山本けいこ 公式サイト 〕。近年は夫婦で全国ネットのバラエティ番組に出演することもある。 娘は広島市の専用劇場を拠点に活動するアイドルグループひろしまMAPLE★Sのメンバー城谷るりである。 現在、老人ホームを中心とした施設への慰問コンサートを実施しており〔赤穂民報|「イルカに乗った少年」城みちるさんが慰問 - 赤穂民報 2008年07月29日〕、特番での懐メロ特集等以外は、ほとんどが地方での仕事である。 「ちびまる子ちゃん」のクラスメート、山根君が城みちるの大ファンで有名である。そのことを「秘密のケンミンSHOW」のコーナー「辞令は突然に…」second season 〜奥様はさすらいの女子アナ編〜 で本人自ら発言したことがある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「城みちる」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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