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城久遺跡群[ぐすくいせきぐん] 城久遺跡群(ぐすくいせきぐん)は、鹿児島県の奄美群島喜界島の平安時代から室町時代にかけての遺跡群。喜界町城久(ぐすく)集落周辺で発見された8ヶ所の遺跡の総称である。 == 概要 == 大規模な集落跡で、平成15年(2003年)に調査が開始された。平成25年(2013年)現在も発掘調査中。徳之島のカムィ焼窯跡遺跡などと同じく、南島史の大きな発見として注目されている。 遺跡の推定年代は9世紀から10世紀の初期、11世紀後半から12世紀の中期、13世紀から15世紀の後期にわかれる。数百棟の掘立柱建物跡や土坑墓、火葬墓が確認され、その数や種類は南西諸島では他に類を見ない。12-13世紀の屈葬墓の調査では、本土中世の仏教思想に基づく埋葬方法と同形式と推定されている。出土品では大宰府出土品と同系の土師器にはじまり、越州窯系青磁や朝鮮系無釉陶器、初期高麗青磁など中国や朝鮮半島の陶磁器が確認されている。 『日本紀略』長徳4年(998年)に大宰府が喜界島に対して、暴れ回る南蛮人(奄美大島人か)を捕えるように命じ、翌5年(999年)には大宰府が朝廷に南蛮人を追討したと報告していることから、喜界島には、それだけの機関や勢力が存在していたと考えられていた。なお、奄美群島の中心部から離れた喜界島に拠点が設けられたのは、島にハブが棲息していないことが理由の一つではないかと見られている。 遺跡の推定年代の末期は沖縄本島の三山時代にはじまる琉球王国成立時期と重り、第一尚氏尚徳による喜界島征服は1466年であるが、集落の終焉と直接の関係があるかはわからない。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「城久遺跡群」の詳細全文を読む
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