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城隍廟[じょうこうびょう]
城隍廟(じょうこうびょう、チョンホワンミャオ、chénghuángmiào、)は、城隍神を祭祀する為の廟所。都市の外周に作られる「城」(城壁)と「隍」(堀)に対する信仰に始まる〔黄柏芸、『台灣的城隍廟』、p10〕。中国文化では、城隍神は都市の守護神で、その前身は水庸神である。ただし、あまり神格は高くないようで、『西遊記』などでは、使い走りのような仕事をさせられていることが多い。 == 歴史 == 城壁と堀という意味での「城隍」という言葉は、後漢の班固の「西都賦序」に見られるのが最初といわれるが、祭祀についての記述はない。「城隍」は「水庸」(堀と城)とも称し、農業にまつわる8種の祭祀「八蜡」の一つとして『礼記・郊特牲』に現れるのが起源という説が有力である。 明確な記録としては、唐代に著された『北斉書・慕容儼伝』に「城隍神」を祭る祠があると記載されているのが最初である。唐代には他にも張説の「祭城隍文」当時の祭祀について書かれた文章が伝わっており、すでに一般化していたことがわかる。 宋代になると、国家行事のひとつとして城隍神を祭祀する機運が生まれ、城隍夫人も祭られるようになった。明代には太祖朱元璋の信仰もあり、祭祀が制度化され、都市毎に城隍廟が建てられるようになった。清朝でも明代の祭祀を受け継ぎ、国家行事のひとつとして地方官吏が毎月1日と15日に参拝することなどを『欽定大清会典事例』で規定し、祭祀が続けられた。 台湾では、日本の統治後、皇民化運動で天照大神や天皇崇拝を奨励されたため、信仰の制限が行われた。中国大陸では、文化大革命によって、あらゆる信仰が制限された。今日では民間信仰として復活している。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「城隍廟」の詳細全文を読む
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