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堀内恒夫 : ウィキペディア日本語版
堀内恒夫[ほりうち つねお]

堀内 恒夫(ほりうち つねお、1948年1月16日 - )は、日本政治家。元プロ野球選手投手)、監督自由民主党所属の参議院議員(1期)、日本テレビ放送網野球解説者スポーツ報知野球評論家。
読売ジャイアンツV9時代のエースとして活躍。
== 経歴 ==

=== プロ入りまで ===
山梨県甲府市出身。養蚕業の家に生まれる〔『オレは悪太郎―わが投手人生のMemoir』60頁〕。小学生時代に右手人差し指をうどん製作機に挟まれ、1cmほど切断する大怪我を負っている。しかし、そのことで手の形が変わったことが独特の大きなドロップカーブを生み出すことになった〔海老沢泰久『ただ栄光のために-堀内恒夫物語-』文春文庫 1995年7月10日 28頁〕。
甲府市立南中学校1年生の時、部活はサッカー部に入っていた。下働きが無いのが魅力というのが理由だった。その後野球部長の熱心な誘いもあって、2年生で野球部に転部、この時は「渋々」だったと言う〔『オレは悪太郎―わが投手人生のMemoir』83 - 84頁〕。
甲府市立甲府商業高等学校では1年生次から中堅手、控え投手として活躍。夏の甲子園県予選決勝では、3年生エース大石勝彦(大洋東映)をリリーフして機山工を降す。しかし第45回記念大会は出場校が多く、会場に阪急西宮球場と甲子園を併用し、甲府商は西宮組に入ったために甲子園を経験することはなかった。これは『巨人の星』でもエピソードに使われている。大会では武雄高宮崎商を降し山梨県勢初の3回戦に進出するが、優勝した明星に0-11で完敗。堀内はリリーフで2試合に登板している。2年上のチームメートには雨宮捷年右翼手がいた〔『プロ野球人名事典1999』(日刊アソシエーツ)15頁〕。
翌夏はエースとして西関東大会決勝に進出するが、熊谷商工に0-1で惜敗。夏も西関東大会準決勝で熊谷商工に敗れ、甲子園出場を逸する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「堀内恒夫」の詳細全文を読む



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