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堀内 正美(ほりうち まさみ、1950年3月22日 - )は、日本の俳優。本名は堀内 まさみ。東京都世田谷区出身。兵庫県神戸市在住。株式会社オフィスAMI所属。 父は映画監督の堀内甲〔堀内甲氏(映画監督、俳優・堀内正美氏の父)死去 読売新聞 1999年12月11日 東京朝刊39ページ〕。叔父は日本におけるモダンバレエの創始者、堀内完。セントルイスバレエ団のオーナーで芸術監督の堀内元、ユニーク・バレエシアター芸術監督の堀内充・堀内かおり・陶芸作家の服部牧子はいとこにあたる。 == 来歴・人物 == 新宿アートシアターで上演されていた清水邦夫作・蜷川幸雄演出の『心情あふるる軽薄さ』に衝撃を受け、舞台演出志望となる。 桐蔭学園高等学校卒業。桐朋学園大学短期大学部では、千田是也・清水邦夫・蜷川幸雄に師事。劇作・演出を学ぶが、在学中にTBSのプロデューサーにスカウトされ、1973年金曜ドラマ『わが愛』で俳優デビュー。翌年にはNHK朝の連続テレビ小説『鳩子の海』でヒロインの憧れの人を演じ、全国に名を知られる。 その後、実相寺昭雄監督との出会いをきっかけに、個性的な役柄を次々と演じるようになる(実相寺が亡くなるまで、常連出演者だった)。ナイーブな青年役に持ち味を発揮する一方、金持ちのドラ息子や乱心する公家、さらには妖怪的な殺し屋まで、狂気を感じさせる悪役も様々に演じた。 近年は、エキセントリックな黒幕的役柄を中心に、特撮作品に数多く出演するほか、時代劇の殿様役や若手監督の作品などにも出演している。その一方でテレビドラマ『港町相撲ボーイズ』 (2011年、NHK富山放送局) では、還暦を過ぎても相撲を取る温厚な理髪店の店主を演じ、鍛えた身体を披露している。 NHK朝の連続テレビ小説『純と愛』における愛の父親・待田謙次役での出演(2012-2013春)の後、NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』にて、吉田兼和役(京都吉田神社の祖先。第25~29話)で朝廷側の公家を好演している。 堀内に影響を与えた先輩俳優には、山崎努・芦田伸介・森繁久彌・勝新太郎・岸田森・藤岡琢也らがいる。 長男がアトピー体質で一向に改善せず、医者に「アトピーには潮風がある場所がいい。」と言われ東京へ来やすい関東近郊で探す選択肢もあったが、海と山に囲まれ、自然も多く残る神戸市に決め、妻も大賛成してくれた事もあり1984年から一家で移り住んだ。1995年の阪神淡路大震災の後には、神戸市民の合言葉「がんばろう!!神戸」を提唱。あわせて、市民ボランティア団体「がんばろう!!神戸」を結成、避難所・仮設住宅・復興住宅で被災者支援活動を展開する。神戸市役所南隣りの東遊園地にある慰霊と復興のモニュメントゾーンに建立されている1・17希望の灯りの碑文は堀内が書いたもの。現在は、震災だけでなく事件・事故の遺族も参加して設立した認定特定非営利活動法人「阪神淡路大震災1・17希望の灯り」理事も務め、全国各地で「震災から学んだこと」「市民活動について」「まちづくり」「生と死」「子育て」などの講演活動をしている。 2004年にはイベント限定で「堀内正美フィギュア」が発売された。企画は玩具プロデューサーの安斎レオ、原型制作は似顔フィギュアの造形家・寒河江弘。 また、社会貢献活動では、自らの阪神淡路地震の経験を生かし、関西の被災者から東日本大震災で被災した人たちへ「義援基金ではなく、救援物資とメッセージを送ることで被災地を助けよう」という趣旨で「たすきプロジェクト」を立ち上げた〔朝日放送「NEWSゆう+」2011年3月29日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「堀内正美」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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