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堀内甲[ほりうち まさる] 堀内 甲(ほりうち まさる、1921年 - 1999年12月10日)は日本の映画監督。 長男は俳優の堀内正美〔堀内甲氏(映画監督、俳優・堀内正美氏の父)死去 読売新聞 1999年12月11日 東京朝刊39ページ〕。 ==来歴・人物== 山梨県甲府市生まれ、名古屋市の覚王山で育つ。京都大学を受験するが失敗。京都で浪人生活を送っている時に映画に魅了され、映画漬けの日々をおくる。教育者だった父親堀内文吉の反対を押し切り日本大学芸術科に入学。学徒出陣で出征。 敗戦後の1946年、東宝撮影所に入社〔。黒澤明監督に師事。『わが青春に悔いなし』『素晴らしき日曜日』に助監督として参加〔。1951年、レッド・パージで退社。1952年、近代映画協会の同人となり〔『縮図』『夜明け前』などで新藤兼人、吉村公三郎の助監督を務め、1956年東映教育映画部製作『オルガン物語』で監督デビューする〔。 その後、桜映画社・英映画社・シネセルなどで数多くの作品の脚本・監督にあたり、それまでの日本映画界にはなかった、子供と親が一緒に観ることの出来る「児童劇映画」という新しいジャンルを確立する。一時テレビの仕事(『パパの育児手帳』・『小さな目』など)もするが、あまりの流れ作業的忙しさに「テレビは創造的ではない」と、映画一筋に歩む。最後の仕事は、阪神淡路大震災後、兵庫県長寿社会課が制作した、これからの高齢社会の住まいかたのモデルを描いた『地域で生きる・ケア‐センター成瀬』の監修。1999年12月10日没。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「堀内甲」の詳細全文を読む
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