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堀口一史座 : ウィキペディア日本語版
堀口一史座[ほりぐち かずしざ]

堀口 一史座(ほりぐち かずしざ、1975年2月28日 - )は、将棋棋士伊藤果門下。棋士番号は218。東京都出身。
==棋歴==
第18回(1995年度後期)奨励会三段リーグで1位(14勝4敗)の成績を収め、プロ入りした。
プロ3年目の1998年度、NHK杯戦で決勝進出。決勝の相手は羽生善治四冠(当時)であった。堀口の先手で横歩取り模様の出だしで14手まですらすらと進んだが、15手目、通常▲3四飛と横歩を取る一手のところで堀口の手が止まり、序盤早々に時間を使う。そして結局、横歩を取らずに飛車を2八に引き、相掛かり腰掛銀の戦形になった。結果は羽生の勝ちで、堀口は準優勝に終わる。
第30回(1999年度)新人王戦で準優勝(優勝者は藤井猛)。
公式戦として1期目の第8期(2000年度)銀河戦で、本戦(ブロック)で米長邦雄島朗らを破り15連勝。決勝トーナメントでは佐藤康光森内俊之らを下して準優勝(優勝は羽生善治)。
全日本プロ将棋トーナメントを発展させ、準タイトル戦としてスタートした2001年度の朝日オープン将棋選手権において、決勝五番勝負で杉本昌隆を3-1で破って初代チャンピオンとなり、選手権者として1期在位した。祝勝会でのスピーチでは、「朝日オープンはお金がいいので」というあからさまな発言をした〔このスピーチは、囲碁・将棋ジャーナルで紹介された。朝日オープンの優勝賞金は、破格の2000万円であった。また、当時、賞金額が公表されていた棋戦は、竜王戦と朝日オープンだけであった。〕。翌年、深浦康市を迎えた初防衛戦では、頭を五厘刈りにし決意の程を見せるも、1-3で敗北する。
第66期(2002年度)C級1組順位戦と第67期B級2組順位戦で2年連続昇級を決め、B級1組に昇級。
2005年9月2日の順位戦B級1組青野照市との対局で、56手目の一手に、昼食休憩を挟む5時間24分の記録的な大長考をしたことで話題となった。順位戦の持ち時間は6時間であるため、持ち時間の9割を費やした計算になる。局面は、角換わりの先後同形からの激しい攻め合いの途中であった。結果は、76手までで堀口の勝ち。後日「囲碁・将棋ジャーナル」に出演した際、「長考できたのは気力が充実していたということだ」と語った。
2013年頃より体調を崩しがちになり、2013年は2戦を戦ったのみで順位戦を欠場。既に降級点が一つ付いていたため、C1級の降級が確定となった。同年10月には病気(病名は明かされていない)のための療養との理由で来期順位戦の欠場を一度は発表。しかしながら6月から公式戦復帰を果たし、順位戦第一局に澤田真吾五段と対局した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「堀口一史座」の詳細全文を読む



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