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堀口大学 : ウィキペディア日本語版
堀口大學[ほりぐち だいがく]

堀口 大學(ほりぐち だいがく、新字体堀口 大学1892年明治25年)1月8日 - 1981年昭和56年)3月15日)は、明治から昭和にかけての詩人歌人フランス文学者。訳詩書は三百点を超え、日本の近代詩に多大な影響を与えた。雅号十三日月葉山町名誉町民
== 経歴 ==

=== 学生時代 ===
1892年(明治25年)、東京帝大在学の堀口九萬一(のち外交官)の長男として、東京市・本郷区森川町(現・東京都文京区本郷或いは西片辺り)に生まれる。父は戊辰戦争で戦死した長岡藩士堀口良治右衛門の長男で、母は村上藩士江坂氏の長女である。大學という名前は、出生当時に父が大学生だったことと、出生地が東京帝国大学の近所であることに由来する。日清戦争開始により、父が仁川領事館補として朝鮮に単身赴任するにあたり、新潟県古志郡長岡町(現・長岡市)に引き揚げる。
母が23歳で早世したこともあり、以後は祖母に育てられる。父は閔妃暗殺事件に連座して失脚し、後事を京城在任以来の知己である与謝野鉄幹に託した。1898年(明治31年)長岡町立坂之上尋常高等小学校に入学。復職してオランダに在住していた父の指導により、日本牧師の指導で英学を始める。1904年(明治37年)2月日露戦争、4月旧制長岡中学校に入学。この頃から文学に魅かれ、内藤鳴雪俳句に心酔。同級に松岡譲が居た。
1909年(明治42年)に上京し、好んで谷中墓地を逍遥して短歌を詠み、『スバル』を読んで明星派短歌に魅了され、十三日月の雅号で詠草が一二月号に掲載される。9月に「新詩社」に入社。1910年(明治43年)慶應義塾大学文学部予科に入学。与謝野鉄幹の永井荷風への推薦もあって知遇を得、『三田文学』に詩歌の発表を始める。この頃から、同門の佐藤春夫とは終生の友人であった。予科の教師はベルグソン哲学の訳者の広瀬哲士で、学年末のフランス語成績は「不可」であった。翌年に予科2年に進級するが、父の任地メキシコに赴くため、慶大を中退。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Horiguchi Daigaku 」があります。



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