翻訳と辞書
Words near each other
・ 堀坂
・ 堀坂山
・ 堀坂浩太郎
・ 堀城
・ 堀基
・ 堀場エステック
・ 堀場一雄
・ 堀場信吉
・ 堀場弘
・ 堀場清子
堀場秀孝
・ 堀場英孝
・ 堀場製作所
・ 堀場雅夫
・ 堀夏子
・ 堀多恵子
・ 堀多磊音
・ 堀天外
・ 堀奈津佳
・ 堀威夫


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

堀場秀孝 : ウィキペディア日本語版
堀場秀孝[ほりば ひでたか]

堀場 秀孝(ほりば ひでたか、1955年6月26日 - )は、日本政治家長野県議会議員(2期)。長野県上田市出身。元プロ野球選手捕手)。
== 来歴・人物 ==
中学時代に県大会優勝。丸子実業高等学校(現・長野県丸子修学館高等学校)在学時は春1回、夏2回、甲子園に正捕手として出場した。高校の後輩に桃井進がいる。
同校卒業時の1974年に当時作新学院高等学校江川卓らと受験合宿を行って、慶應義塾大学を受験したが、江川たちと一緒に不合格となった。江川が進路を変えて法政大学夜間部に入学し、1年生の秋のシーズンから法政大学野球部のエースとして活躍するのをしり目に、浪人による再挑戦の途を選び、一浪後の1975年、慶應義塾大学法学部法律学科入学。
慶應義塾大学野球部入部後は、1年生の春のシーズンの開幕戦から1978年の4年生の秋のシーズンの最終戦までの全ての試合に正捕手として出場し4年生時には主将を務めた。東京六大学野球リーグ戦に通算101試合出場し、396打数125安打、11本塁打、50打点、打率.316。ベストナイン1回。125安打は明治大学に1964年から1967年のシーズンまで在籍時の高田繁が打ち立てた東京六大学野球記録の通算127安打に次ぐ。
に慶應義塾大学卒業後、プロ入りを拒否し、社会人野球のプリンスホテルへと進む。のドラフト外広島東洋カープに入団。入団発表記者会見で、広島の正捕手の座を掴みつつあった同学年の達川光男について「タツなんて目じゃない」と発言し、度肝を抜いた。広島ではプロ入り1年目のから控え捕手として一軍に定着し、代打での出場が多かった。に登録名堀場 英孝に変更。に自由契約となり、横浜大洋ホエールズに移籍。に再び自由契約となり、読売ジャイアンツにテスト入団するが一軍出場はなく、に現役引退。現役時代晩年には、限りで引退していた江川が取材に訪れた際に、「まだ(現役を)やってたのか?」とからかったという。
引退後はベースボール・マガジン社に就職し、広告の仕事に携わった。後に大阪近鉄バファローズ編成部係長となるも2000年11月に退団。アマチュア野球指導者となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「堀場秀孝」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.