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堀尾 正明(ほりお まさあき、1955年4月24日 - )は、日本のフリーアナウンサー、司会者、ニュースキャスター、ラジオパーソナリティ、日本体育大学客員教授(2014年まで)、エフエム戸塚取締役。元NHKエグゼクティブアナウンサー(局次長級)。身長170cm。 == 経歴 == 1955年4月24日生まれ。父親は室蘭工業大学卒業の山師で、マンガンなどの鉱脈を探して全国を転々〔「週刊文春」2010年3月11日号p124、「阿川佐和子のこの人に会いたい」〕。正明は岡山で生まれ、山形、愛知、神奈川と移り、中学から埼玉県大宮市(現:さいたま市)で育つ〔。埼玉県立浦和高等学校を経て、早稲田大学第一文学部哲学科卒業。中学生の頃は卓球部で大宮市の大会で優勝経験があり、高校生時代はサッカー部でレギュラー〔。大学在学中に文学座附属演劇研究所に入り、研究生としてミュージカルに出演。その後、劇団俳優座映画放送部に所属し、『大空港』(フジテレビ系)で、東南アジアから来たマフィアの「ジミー」役としてなど、テレビドラマに出演したこともあった〔。 俳優座を退団後、1981年、26歳でNHKにアナウンサーとして入局。初任地はNHK北九州放送局。俳優志望だった経歴から1987年、NHK福岡放送局制作九州五分間ドラマ「博多屋台ものがたり」や「博多ごりょんさん物語」に、九州の実力派劇団テアトルハカタと共に出演。「博多屋台ものがたり」では下川辰平と、「博多ごりょんさん物語」ではばってん荒川と競演した後、東京異動後は芸能畑を担当。1995年開始の『スタジオパークからこんにちは』の司会者となり、明るい人柄でゲストの本音を引き出すトークを展開、番組を人気番組として定着させた。 2000年、『NHKニュース10』のキャスターで報道番組を担当。2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件では、放送中に第一報が入りニューヨークと中継を交えて伝えた。2002年には、『サタデースポーツ』『サンデースポーツ』を担当しスポーツ畑へ、自国開催である「2002 FIFAワールドカップ」報道のメインキャスターを担う。その後もオリンピック関連の番組を担当。2007年に『サンデースポーツ』を降板、長く『難問解決!ご近所の底力』進行だった関係で「地域応援キャンペーン」担当となった。 2008年3月31日付でNHKを退職。NHKでの27年間で様々な部門を担当したが、退職後しばらくは活動しなかった。 しかし、後に日本テレビの北京オリンピック中継番組のメインキャスターを明石家さんまと櫻井翔(嵐)と共に担当した。2014年まで日本体育大学客員教授も務めるようになる〔NHK退職の堀尾アナ、日テレ五輪番組担当 - 日刊スポーツ、2008年5月8日閲覧。〕。2008年10月からは、日本テレビ『誰だって波瀾爆笑』・『SUPERうるぐす』の司会に起用される。また、同年10月4日からTBSラジオで『土曜朝イチエンタ。堀尾正明+PLUS!』が開始。 2009年9月28日からはTBSテレビ平日夕方の報道・情報番組『イブニングワイド』の総合司会(メインキャスター)に就任。従来のレギュラー番組も続投となり、週休0日状態となった。『誰だって波瀾爆笑』の収録に出るため、隔週木曜日で『イブニングワイド』を欠席していた。 2010年3月21日に、NHKの「春“スタパ祭り2010”」の企画として、かつて『スタジオパークからこんにちは』で司会コンビを組んだ高見知佳との10年ぶりのコンビでトークショーを開催した。 2010年3月29日からは、『イブニングワイド』をリニューアルした『Nスタ』のメインキャスター(総合司会)に就任。2010年4月からは、NHK『地球ドキュメント ミッション』の司会を担当(2011年3月まで)。以後も多くの番組の司会を務めている。また時折各地での講演会あるいはシンポジウムや、イベント司会などでも姿を見せている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「堀尾正明」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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