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堀川具雅
堀川 具雅(ほりかわ ともまさ)は鎌倉時代末期から南北朝時代初期の公卿。従三位参議右衛門督検非違使別当。内大臣右大将堀川具親の長男。母は家女房。 == 経歴 == 以下、『公卿補任』、『尊卑分脈』の内容に従って記述する。 元亨2年(1322年)1月5日、従五位下に叙せられる〔万秋門院御給。〕。元亨3年(1323年)1月5日、従五位上に昇叙〔春宮御給。〕。元亨4年(1324年)4月17日、正五位下に昇叙〔春宮権大夫であった父具親の譲りによる。〕。正中3年(1326年)1月5日、従四位下に昇叙。嘉暦元年(1326年)8月6日、侍従に任ぜられる。同年11月4日、左少将に任ぜられる。嘉暦2年(1327年)3月24日、従四位上に昇叙。嘉暦3年(1328年)1月5日、正四位下に昇叙。同年3月16日、石見権介を兼ねる。11月27日、春宮権亮を兼ねる。元徳元年(1329年)12月13日、左中将に転任。元弘元年/元徳3年(1331年)9月20日、新帝光厳天皇即位により春宮権亮を止める。同年10月28日、従三位に叙せられる。正慶元年/元弘2年(1332年)3月12日、参議に任ぜられる。元弘3年/正慶2年(1333年)6月、参議を止められ正四位下に戻される〔後醍醐天皇が隠岐から戻っての詔による。〕。 建武4年/延元2年(1337年)1月7日、参議に任ぜられる。同日、右兵衛督を兼ねる。3月6日には検非違使別当に補される。7月20日、右衛門督に転任。10月8日、従三位に叙せられる。暦応元年/延元3年(1338年)6月12日、出家〔菩提心によるという。〕。暦応3年/興国元年(1340年)7月7日、薨去。享年21。
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