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堀川中央館(ほりかわちゅうおうかん)は、かつて存在した日本の映画館である〔''思い出の西陣映画館 その三''、『上京 史蹟と文化』1992年第5号、上京区役所、1993年10月15日付、2013年10月15日閲覧。〕〔国立, p.570.〕。1908年(明治41年)12月9日、京都府京都市上京区の東堀川通沿い(のちの堀川京極)に寄席春日座(かすがざ)として開館、1926年(昭和元年)前後には映画館に業態を変更して表題名に改称している〔〔年鑑, p.473.〕〔総覧, p.679.〕〔総覧, p.283.〕〔総覧, p.585.〕〔昭和7年の映画館 京都市内 37館 、中原行夫の部屋(原典『キネマ旬報』1932年1月1日号)、2013年10月15日閲覧。〕〔国立, p.549-551.〕。第二次世界大戦が始まった1942年(昭和17年)ころの一時期、堀川文化映画劇場(ほりかわぶんかえいがげきじょう)、堀川文化劇場(ほりかわぶんかげきじょう)とも名乗ったが〔年鑑, p.10-69.〕〔年鑑, p.472.〕、1945年(昭和20年)4月に執行された堀川京極の強制疎開によってわずか5日間で取り壊されて閉館、復興することはなかった〔。 愛知県名古屋市西区にかつて存在した堀川映画劇場とは異なる。 == 沿革 == * 1908年12月9日 - 寄席春日座として開館〔 * 1926年前後 - 映画館に業態変更、堀川中央館と改称〔〔〔 * 1944年11月2日 - 戦時体制により以降休館 * 1945年4月 - 堀川京極の強制疎開により解体・閉館〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「堀川中央館」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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