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乃木坂46(のぎざか フォーティーシックス、)は、日本の女性アイドルグループ。秋元康のプロデュースにより、2011年8月21日に誕生した〔“「乃木坂46 私達のこともっと知ってほしい、基本問題集 1年目篇」模範解答 ”. 乃木坂46 運営スタッフ 公式ブログ. 乃木坂46運営委員会 (2013年3月6日). 2014年1月27日閲覧。〕。 == 概要 == 乃木坂46の「乃木坂」というグループ名は、レーベル会社のソニー・ミュージックエンタテインメントが所有する乃木坂46の最終オーディション会場として使用された「SME乃木坂ビル」を由来とする〔。乃木坂46の「46」という数字はAKB48より人数が少なくても負けないという意気込みを込めて総合プロデューサーの秋元康が命名した〔“AKB48“公式”ライバル乃木坂46、36人決定 毎日が総選挙!” . ''ORICON STYLE'' (oricon ME). (2011年8月22日) 2013年4月8日閲覧。〕。乃木坂48と呼び間違えられやすい〔“感動の最終回の裏で悲劇は起きていた! 乃木坂46を襲った日テレの大エラー” . ''アサ芸プラス'' (徳間書店). (2015年10月4日). 2015年11月26日閲覧。〕。 かつて、ソニー・ミュージックエンタテインメントグループ会社のデフスターレコーズに所属していたAKB48は、2008年のキングレコード移籍後にヒットしたため、ソニーミュージックの担当者が「やっぱり“逃した魚”は大きかったですよ」と語り〔“秋元康プロデュース、AKB48の“公式”ライバル「乃木坂46」とは?” . ''週プレNEWS'' (ライブドアニュース). (2011年6月27日) 2013年4月8日閲覧。〕、後の2010年にデフスターレコーズ所属時代の楽曲を収録した『逃した魚たち〜シングル・ビデオコレクション〜』というミュージック・ビデオ集が発売されるほどだった〔“AKB48、前レーベルPV集ジャケに“逃した魚”姿で登場” . ''ナタリー'' (ナターシャ). (2010年5月12日) 2010年5月12日閲覧。〕。このような背景から、2011年にソニー・ミュージックエンタテインメントと秋元康プロデュースによる新たな女性アイドルグループが企画され、乃木坂46は結成された。乃木坂46結成時のメンバーにはモデルの伊藤万理華や深川麻衣、日テレジェニック2011候補生の井上小百合、ミスマガジン2011の衛藤美彩、元ももいろクローバーの柏幸奈、青春女子学園の川後陽菜や能條愛未、SPL∞ASHの中元日芽香、SPLASHの大和里菜〔“乃木坂46のメンバーに芸能関係者が多数加入! 秋元康のライバル発言の本気度は高い!” . ''メンズサイゾー'' (サイゾー). (2011年8月22日) 2013年4月15日閲覧。〕、CHIMOの畠中清羅など芸能活動経験者が名を連ねた〔“AKB48の公式ライバル、乃木坂46のメンバー決定! 元ももクロ柏らも参加” . ''TOWER RECORDS ONLINE'' (タワーレコード). (2011年8月22日) 2013年4月12日閲覧。〕。 秋元康によれば、ソニーミュージックは乃木坂46の発展に未来を賭けている〔Mariko Yasu (2013年7月4日). “Girl-group fans help push Japan music sales past U.S.” . ''The Japan Times'' (The Japan Times) 2015年7月24日閲覧。〕。乃木坂46はコンセプトがないのをコンセプトに〔「欅坂46 乃木坂46に続く“坂道シリーズ”の第2弾アイドルグループが誕生」『日経エンタテインメント!』2015年10月号、上原太郎、日経BP社、2015年9月4日、7頁。。〕、コードネームをシャドー (shadow) とし〔“「乃木坂46」なりたい人集まれ〜公募開始” . ''nikkansports.com'' (日刊スポーツ新聞社). (2011年6月29日) 2011年6月29日閲覧。〕、シャドーキャビネットとして存在する〔「スペシャルインタビュー イメージは「おしゃれなリセエンヌ」総合プロデューサーが語るライバルグループの作り方 秋元康」『日経エンタテインメント!』2015年2月号、日経BP社、2015年1月5日、no.282、58-59頁。。〕。シャドーは乃木坂46の1stシングル「ぐるぐるカーテン」のカップリング曲「会いたかったかもしれない」のミュージック・ビデオから出現した〔。乃木坂46の「会いたかったかもしれない」は、AKB48の「会いたかった」をトレースした作品であり、AKB48の影を描いている〔香月孝史 (2015年5月16日). “第1回 乃木坂46はAKB48の「影」なのか ”. ''青弓社''. 青弓社. 2015年9月16日閲覧。〕。このため、AKB48「会いたかった」のミュージック・ビデオが真夏に撮影されたのに対し、乃木坂46「会いたかったかもしれない」のミュージック・ビデオは真冬に撮影された〔。乃木坂46が初めて撮影したミュージック・ビデオである「会いたかったかもしれない」には、元AKB48の前田敦子が登場し、乃木坂46の生駒里奈に当時の自分を重ねるような視線を送るシーンがある〔。 また、乃木坂46はAKB48・SKE48・NMB48・HKT48・NGT48などからなるとは異なる公式ライバルとして存在する〔。AKB48グループが専用劇場を持つのに対し、乃木坂46は専用劇場を持たない〔。AKB48グループが選抜総選挙において投票を実施したのに対し、乃木坂46は『16人のプリンシパル』という舞台公演における配役決定において投票を実施した〔“乃木坂46「16人のプリンシパル trois」特集 (1/4)” . ''ナタリー'' (ナターシャ). (2014年5月12日) 2014年5月12日閲覧。〕。これらの差別化は乃木坂46の1stシングル「ぐるぐるカーテン」のミュージックビデオにおける私立女子校の風景から提示され始めた〔「乃木坂46 映像美にずっきゅん カップリングMV&個人PVの秘密に迫る!」『EX大衆』2014年2月号、双葉社、2014年1月15日、月刊版、9頁。。〕。乃木坂46は専用劇場を持たないため、その世界観は乃木坂46の冠番組である『乃木坂って、どこ?』などの映像を通じて構築され〔“AKB48姉妹グループ超え!? 乃木坂46の躍進と人気の理由” . ''ORICON STYLE'' (oricon ME). (2014年7月19日) 2014年7月19日閲覧。〕、ミュージックビデオがその世界観を補完する役割を果たした〔。 乃木坂46運営委員会委員長の今野義雄によれば、乃木坂46はAKB48とは異なるかたちのエンターテインメントを目指すプロジェクトを掲げている〔。第一に「劇団」のようであることである〔。乃木坂46においてダンスは舞踏や舞踊として位置づけられ、ダンスを通じて劇を演じることによってひとつの作品を提示することを命題としている〔「VOICE of KEY PERSON」『OVERTURE』NO.001、徳間書店、2014年10月3日、23-24頁。ISBN 978-4-19-710393-5。〕。振付面ではミュージカルのような芝居ができるグループとして〔、「差別化したい」「大御所でいきたい」という秋元康の意向から結成以来、1stシングルから5thシングルまで南流石が固定型で担当した〔「打倒AKB、やれんのか? 乃木坂の乱! スペシャル 振付師南流石が初激白!! “乃木坂ダンス”誕生秘話」『BUBKA』2013年5月号、白夜書房、2013年3月30日、月刊版、67頁。。 “PROJECT ”. ''流石組''. SASUGA GUMI (2012年). 2014年1月1日閲覧。 “アイドルの個性を左右する振付師という仕事 ”. ''日本経済新聞'' (日本経済新聞社). (2013年5月13日) 2014年1月1日閲覧。〕。 第二に「文化的」であることである〔。CDの特典映像として収録されている個人PVは、乃木坂46のメンバーを用いて文化的な要素を引き出すための装置として位置づけられている〔。 音楽面では既存のアイドルグループと差別化を図るため、フレンチ・ポップスが採用された〔。衣装もその方向で制作され〔、歌衣装は「フランス領にある女学校の生徒」をコンセプトに紫をキーカラーに淡い色調で彩られたクラシカルなフォルム、白い三つ折りソックスとワンストラップのエナメルシューズを定番とし〔「LOVE IDOL!! アイドルと衣装」『装苑』2014年2月号、文化出版局、2013年12月26日。。〕、1stシングルから5thシングルまでの歌衣装の多くを堀越絹衣が担当した。 イベントやテレビ収録時に着用する制服衣装はスタイリストの米村弘光がデビュー時から担当した〔「乃木坂46 歌と魂を視覚化する物語」『MdN』2015年4月号、エムディエヌコーポレーション、2015年3月6日、月刊版、66頁。。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「乃木坂46」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Nogizaka46 」があります。 スポンサード リンク
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