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堀江芳介[ほりえ よしすけ] 堀江 芳介(ほりえ よしすけ / ほうすけ、1845年4月9日(弘化2年3月3日) - 1902年(明治35年)3月27日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍少将。元老院議官、衆議院議員、錦鶏間祗候。 ==経歴== 山口県出身。戊辰戦争に従軍。1872年1月16日(明治4年12月7日)、陸軍中尉任官。1875年(明治8年)6月、陸軍教導団次長に就任。1877年(明治10年)3月、別働第2旅団参謀長となり西南戦争に出征。1878年(明治11年)11月、歩兵大佐に進み、同年12月、参謀本部管東局長に就任した。1880年(明治13年)10月、近衛局参謀長を兼務。 1883年(明治16年)1月、陸軍戸山学校次長となり、同年2月、陸軍少将に昇進し同校校長に就任した。1885年(明治18年)5月、近衛歩兵第1旅団長に転じた。月曜会事件により、1886年(明治19年)7月、歩兵第6旅団長に転出し、同年8月、休職(欧州出張)となり、さらに1888年(明治21年)12月、予備役に編入された。 1888年(明治21年)11月、元老院議官に就任。1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙に山口県第4区から出馬し当選。衆議院議員を一期務めた。1890年10月20日、錦鶏間祗候となる〔『官報』第2195号、明治23年10月22日。〕。さらに、阿月村(現在柳井市阿月)村長に就任。
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