翻訳と辞書
Words near each other
・ 堀江美都子 オリジナルベスト12
・ 堀江美都子 歌のあゆみ
・ 堀江美都子あしたがすき
・ 堀江翔太
・ 堀江航
・ 堀江良一
・ 堀江良信
・ 堀江芳介
・ 堀江英一
・ 堀江薫雄
堀江藩
・ 堀江謙一
・ 堀江貞一
・ 堀江貴文
・ 堀江賢治
・ 堀江道彦
・ 堀江邑一
・ 堀江邦夫
・ 堀江里沙
・ 堀江金属工業


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

堀江藩 : ウィキペディア日本語版
堀江藩[ほりえはん]
堀江藩(ほりえはん)は、明治維新期の短期間、遠江国に存在した。藩庁は遠江国敷知郡堀江陣屋(現在の浜松市西区舘山寺町)。もともと高家旗本大沢氏の知行地(堀江領)であったが、大政奉還後の明治元年(1868年)に実高が1万石以上あると届け出、明治政府から藩として認められた。明治4年(1871年)の廃藩置県により堀江県(ほりえけん)となるが、石高の虚偽申告が発覚して知事(元藩主)の処罰に発展した(万石事件)。
== 藩史 ==

=== 中世の大沢氏と堀江 ===
大沢氏は、中世以来この地を治めてきた豪族である。初代・基秀は、藤原道長の子・頼宗から12代目の子孫で、南北朝時代地頭として遠江に下向し、堀江城主となってそのまま土着したと伝わる。第2代基久は遠江守護斯波氏に仕え、かつて基秀が領有した丹波大沢村の由縁により大沢姓を称した。第7代・基房は遠江に進出した今川氏に仕え、今川氏輝義元の時代には加増を受けて重用されている。
桶狭間の戦い以後、今川氏が衰退して徳川家康が遠江に侵攻すると、第9代基胤は今川方として家康に抵抗する。永禄12年(1569年)3月12日、堀川城をわずか一日で攻略した家康は、同25日井伊谷衆(近藤康用秀用鈴木重路菅沼忠久父子、菅沼定盈)に命じて堀江城に侵攻する。大沢氏は頑強に抵抗したものの、4月12日に家康から本領安堵の誓書が与えられると、以後は徳川氏に臣従した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「堀江藩」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.