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堀田正倫[ほったただしりん]
堀田 正倫(ほった まさとも)は、江戸時代末期の大名。明治時代の伯爵。下総佐倉藩第6代(最後)の藩主。正俊系堀田家10代。 == 生涯 == 第5代藩主で幕末の老中・堀田正睦の四男。安政6年(1859年)、父が井伊直弼との政争に敗れて失脚したため、家督を譲られて藩主となった。幕府に対する忠誠心は父譲りなのか、慶応4年(1868年)の鳥羽・伏見の戦い後、徳川慶喜に対して朝廷から討伐令が下ると、上洛して慶喜の助命と徳川宗家の存続を嘆願したが、新政府から拒絶されただけでなく、京都に軟禁状態にされた。このため、藩主不在となった佐倉藩は危機を迎えたが、家老の平野縫殿が新政府軍に与して大多喜藩に出兵したため、何とか改易は免れた。 明治維新後は知藩事となった。廃藩置県後は東京に移住し、日本の文化活動推進に貢献した。明治17年(1884年)に伯爵に叙される。明治23年(1890年)、佐倉に戻って私立の農事試験場設立や佐倉中学校(現佐倉高等学校)維持発展に寄与するなど地域の発展に尽力した。1911年に死去、享年61。はじめ母里藩主松平直哉の四男正威を養子としていたが、離縁したため婿養子の正恒(蓮池藩主鍋島直柔の次男)が家督を継いだ。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「堀田正倫」の詳細全文を読む
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