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堂洞城(どうほらじょう)は美濃国中濃(岐阜県加茂郡富加町夕田)にあった日本の城(平山城)。別名、堂洞山城、堂洞掻上城。濃尾平野の北で、加治田城から目と鼻の先にある。 == 概要 == 創築者・築城年は不明。蜂屋頼隆が織田信長に内心してから、天文・永禄の頃には岸信周が城主であった。 信長の中濃攻略阻止のために築かれた城で、加治田城・佐藤忠能、関城・長井道利、堂洞城・岸信周の中濃三城で盟約を結んだが、佐藤忠能が信長に内心し、堂洞城を中心とした堂洞合戦の後、落城。そのまま廃城となった。本能寺の変後、混乱に乗じて斎藤利堯と森長可による加治田・兼山合戦の際、堂洞城跡は森長可の加治田攻城戦の本陣として使用された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「堂洞城」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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