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堅田合戦[かただかっせん] 堅田合戦(かただかっせん)は、天正14年(1586年)に豊薩合戦の一環として、豊後国で行われた大友氏の家臣・佐伯惟定と島津氏の家臣・島津家久の合戦。 == 略歴 ==
=== 合戦まで === 天正6年(1578年)の耳川の戦いで大友宗麟が薩摩国の島津義久に大敗して佐伯惟教・惟真ら有力武将を多く失った上に〔宮明『シリーズ藩物語、佐伯藩』、P41〕、一族重臣の内訌の激化や肥前国の龍造寺隆信や筑前国の秋月種実らの侵略もあり、大友氏は一気に没落の道を辿った。島津氏の圧力に耐えかねた大友氏は、中央で勢力を拡大していた豊臣秀吉に臣従し、後ろ盾にすることで窮地を凌ごうとしたが、豊臣氏も当時は九州に緊急に軍勢を派遣できる政情ではなかった。逆に耳川の合戦で勝利した島津氏は南九州を平定したことにより、それまで大友家に押され気味であった勢力均衡が一気に傾いたのを見て〔、大友領への侵略を行う。天正14年(1586年)には九州全土の征服を目的にして大友家の本国豊後への侵略を開始し、肥後路から同母弟・島津義弘に、日向路から異母弟・島津家久の軍勢に豊後侵略を開始させた(豊薩合戦)。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「堅田合戦」の詳細全文を読む
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