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堺[さかい]
堺(さかい)は、大阪湾に面し、大阪(大坂)の南に位置する都市。また、その市街地を中心とする地域。 地名は、方違神社付近がかつて摂津国・河内国・和泉国の3国の「境(さかい)〔「堺」は、境界を表す「界」の異体字。日本の古文書ではしばしば同義の「境」とも混用されていた(境相論を「堺相論」と表記するなど)。〕」であったことに由来する。市街地はその西方に形成され、大小路通を境に摂津国住吉郡と和泉国大鳥郡に跨っていた〔明治4年(1871年)9月30日に摂津・和泉の境界線が大和川に変更され、大小路以北も和泉国に編入された。〕。 == 概要 ==
中世に貿易港として発展し、「東洋のベニス」として栄華を極めた。戦国時代には環濠都市となり、自治的な都市運営が行われた。ガスパル・ ビレラは永禄5年(1562年)の報告書の中で「他の諸国において動乱あるも、この町にはかつてなく敗者も勝者もこの町に在住すれば、皆平和に生活し、諸人相和し、他人に害を加えるものなし。町は甚だ堅固にして、西方は海を以て、また他の側は深き堀を以て囲まれ、常に水充満せり」と書き、1598年のオルテリウスの日本地図の中にも、Sacay(堺)という名前が記され、Meaco(都=京都)とともに知られる主要都市だった〔長谷洋一、シンポジウム講演録「新発見 豊臣期大坂図屛風の魅力」日本関西大学なにわ・大阪文化遺産学研究センター、2009年3月31日〕。1586年に秀吉によって堀が埋められ、その後大坂夏の陣において全焼。現在見られる町割は、元和年間の復興によるものである。 中世の堺の町が描かれたものとして、「住吉祭礼図屛風」(堺を描いた最古の屏風。17世紀前半)、「厳島・住吉祭礼図屛風」、「摂津国名所港津図屛風」、「天橋立・住吉社図屛風」、「豊臣期大阪図屏風」などがある。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「堺」の詳細全文を読む
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